一見するとアドバイスや文字通り「講座」を公開しているように読めるのですが、
実際、本業で活動している人がこんなに安易に、ましてや無料で技術や秘訣を他人に教えるはずがありません。
むしろ人に教えたがるというのは技術も実績もないことの裏返しであることがほとんどで、
「とりあえずやってみた」「ドヤッ」「落書きでもここまでできるんだぞ」「ほかにやりたいことがあるから適当でいいや」と、
真剣な読者をミスリードする意図が含まれています。ただでさえ過剰競争の分野でやすやすと活躍することなどできるはずがないため、本業で活動している人からすれば
少しでも競争を減らすために鍛錬を怠らず、他人の有利になることを漏らさず、自分のことで精一杯のはずです。
それで巷にあふれる「教本」や「練習ブログ」「教示サイト」の多さが何を意味するのかを考えてみてください。
よくある「自己啓発本」と変わらないことがわかるでしょう。自己啓発本の内容というのは「成功する方法」ではなく「成功した方法」に過ぎないということを忘れないでください。
このサイトも例外ではなく、いま思うと恥ずかしく、愚かで、非生産的というより自虐的で、冷笑の的であるとしか考えられません。
こんな無意味な講座を書いている暇があるなら、こつこつ絵を描いて公開するほうが断然いいです。
絵というのは読者にとっては完成品が全てであり、コンセプトや制作過程や練習ばかりを見せても仕方がないのですよ。
じわじわと作業工程を見せて喜ぶのは一部の人だけで、多くの人は「結果」を求めているということを忘れていませんか?
そもそも作者が結果を出す気がないのなら、そんな作品を描くことにも見せることにも意味がありません。
自分が有意義だと思ったことが必ずしもそうであるとは限らず、強い固定観念が物事を台無しにしてしまうことは多いのです。
致命的なのは、何も生み出していない努力と時間と過程であるにもかかわらず、何かを達成したつもりになることです。
まともに取り組んだ経験のない人が往々にしてそのようなミスを犯します。
いったいどれだけの時間を無駄にしたか想像もつきません。
人に教えるのが上手い人がその道に優れているとは限りません。むしろ逆。
実力の不足をごまかすために、自分より格下の相手に講釈を垂れ流すことで満足感を得られるからです。
どんなに声が大きくても、うかつに人を信用してはいけません!
他人にわかるように行われる努力などインチキに等しいと考えてください。
そんな姑息なやり方で上達するほど絵画は生易しい世界ではないのです。
「鉛筆で描きたいけど芯がすぐ消耗するから削ったり買い替えたりするのがめんどくさい!」
と感じるのは、鉛筆で何度も線を重ねたり上書きしたりしているからです。
いつまでも「下書き」や「ラフ」の精神のままだから、鉛筆を無駄に消耗することになってしまうのです。
初めから1本の線で輪郭を描き、間違えたときにだけ消しゴムをかけて描き直すようにすれば、鉛筆は相当長持ちします。
「初めから1本の線で描く」という感覚は、デッサン“しか”経験のない人には非常に大きな抵抗となるようで、
毎度毎度、細かなタッチと上書きを繰り返す手法から描き始めなければいけない、という強い固定観念が作業の妨げになっているという事実があります。
いつまでも「デッサン上がり」の状態のままでは、まともな絵、自分の望むイラストを描くことはできません。
むしろそういう状況を引き起こすくらいなら「デッサン」など初めからやらないほうがマシなくらいです。
デッサンのスキルのない人が観察力のなさを嘆くのと同じくらい、デッサンの中途半端な経験のせいで画力の上がらなさを嘆く場合があるのです。
画材の消耗ややり直しの手間が負担に感じられるなら、最初からペンタブレットを使ったほうがいいかもしれません。
便利な道具を使える選択肢があるのに、あえてそれを使わないというのは、賢明な判断とはいえません。
ペンタブレットを買うことによって販売店やメーカーには利益となるので決して無駄になることはないのです。
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