事実上、世界のほぼ半分を所有している明海の父親の会社は、
錬金術師がわずか1ヶ月で山脈を平地にしてしまうほどの強大な力を発揮し、
その後1年で鉄道や高速道路をも整備し、数億人が住むことのできる巨大な都市を完成させたのである。


都市の中心から離れた静かな土地に、今、あすさんと明海のいるビルが建っている。

その屋上の露天風呂のような温泉で二人はのぼせていた。


あすさん「……いかん……めまいがする……」
明海「お湯から出たのに体温が下がらない……」
あすさん「真冬の屋外で熱中症になるとは……」
明海「早く…冷たい水を……」

あすさんは執事から渡されたブザーのボタンを押した。

あすさん「なんだ…これ…呼び出しをするだけか…通話できるわけじゃないのか…」
明海「……ごめんね~……また何分か待たされるから……」


3分後…


執事「aspirinさま、お呼びでございますか」
あすさん「おせえよ………」
執事「申し訳ございません……」
明海「なんか冷たいジュースある?」
執事「はい。ただいまお持ちいたします」
あすさん「おい…今から持ってくるのかよ……往復で6分か? 今度は?」
執事「7分ほど…」
あすさん「緊急を要するってのに………」
明海「あすさん、蜂蜜ドリンクでいい?」
あすさん「それ…本当にドリンクか? 蜂蜜そのものじゃないだろうな……」
明海「野菜ジュースみたいなものがいい?」
あすさん「まぁ……こういう場合は生理食塩水が一番よさそうだな……」
明海「えっと…スポーツドリンクだよね? じゃああたしも同じものを」
執事「かしこまりました。7分ほどお待ちくださいませ」
あすさん「……早くしてくれぇ~……」
明海「意識が……」


7分後…


執事「お待たせいたしました。生理食塩水でございます」
あすさん「マジで持ってきやがった……」
明海「うっ………ただの塩水じゃ………」
執事「はい。医務室よりお持ちいたしました」
あすさん「気が利くんだか利かないんだか……」
執事「また何かありましたらお呼びください。それでは…」
明海「……ただの塩水……しかも生ぬるい……」
あすさん「いちおう処方薬の扱いなんだ。単なる塩化ナトリウムの水溶液なのに、医師の処方せんがなくては販売できない代物だ」
明海「なんて無駄な水溶液なの……」
あすさん「執事も真面目すぎるようだな……」
明海「こんなものが薬だなんて……」
あすさん「人間の体液に等しい浸透圧の食塩水に過ぎないのだが……」
明海「これがあたしの体液に等しい……」
あすさん「ゴーストの体液……」


生ぬるい塩水を飲み、どうにか容態が安定した二人である。


あすさん「これなら温泉の水をそのまま飲んだほうがよかっ…」
明海「あっ……!」
あすさん「雪……」
明海「わぁ~雪だ~!」
あすさん「温泉に降る雪か……風流だな……」
明海「積もるかな? 積もるかな?」
あすさん「これだけ冷え込んでいれば…積もるかもしれないな」
明海「うわーい! 積もったら遊ぼうね!」


雪を見てはしゃぎ出す明海。
急に元気を取り戻した明海を見て、あすさんは気になることを思い出した。


明海「雪だ~雪だ~楽しいな~! ……ん? あすさん?」
あすさん「…………」
明海「いやーん!!あすさんったら…あたしの水着姿に見とれちゃったの~?」
あすさん「いや、そうじゃない」
明海「えへへへ…見たかったら見てもいいのになぁ~。スタイルには自信あるんだよ♪」
あすさん「そう。そのスタイルなんだ」
明海「えっ!?ちょ、ちょっとぉ! どこ見てるの!!」

あすさんの目はいよいよ真剣になっていた。
まるで科学者が重要な実験を行い、経過を観察するときの目のようであった。

明海「み…見てもいいけど…手を出したらだめなんだからね??」
あすさん「明海、両足をそろえてまっすぐ立ってみてくれないか」
明海「ええ? 今度はなんなの~???????」
あすさん「両腕を前に伸ばして」
明海「えー? これはどういうプレイなの~?????」
あすさん「そのまま両腕を上に」
明海「いやーーーーーーーーーーーー…」
あすさん「片足でバランスをとって立って」
明海「こ、こう?」
あすさん「両足を伸ばして座って」
明海「はい…っ」
あすさん「首を左右に振って」
明海「ぶんぶんぶん!」
あすさん「まっすぐに私の顔を見て」
明海「じど~~~~~~~~~~~~」
あすさん「なるほど……」
明海「なああっ? なになになになに???一人で納得してないで教えてよ~~!!」

あすさんの目は真剣だが、決していやらしいものではなかった。

あすさん「最初に明海を見たときから、ずっと妙な違和感があったんだ……」
明海「違和感ってなによーーーっ! 失礼なっ! 素直に可愛いって言えばいいのに~…」
あすさん「可愛さとは違うんだ」
明海「はいはい、あたしに惚れちゃったのね」
あすさん「明海の体は、ほぼ完全に左右対称の形をしている」
明海「…………ええ? 左右対称? みんなそうじゃないの~?」
あすさん「いや。左右対称の人間はいない。目の形、耳の高さ、腕の長さなどは微妙に異なっているんだ」
明海「そりゃ、微妙に異なっていることくらいあるでしょうよ……。あたしだってそうじゃないの?」
あすさん「ところが、どうだ……明海の左右は肉眼では違いがわからないくらい対称になっている……」
明海「んも~!!それはあすさんの目が悪いからだってば~!」
あすさん「整形してもこんなに左右対称の体にはならない……」
明海「あすさん? あたし、これでもノーメイクだからね? 当然でしょ? お風呂に入るのに化粧なんてね? さ、体、洗おうか?」
あすさん「そうしようか」

あすさんは温泉から少し離れ、洗面器を裏返した上に腰かけた。椅子に座ればいいのに。
明海は焼き鳥の香りがするボディソープを手に取り、あすさんの背中にかがんだ。

あすさん「なんてジューシーな香りがするんだろう…」
明海「焼き鳥ボディソープだってさ」
あすさん「食べたくなるな…」
明海「食べちゃだめよ」
あすさん「このまま焼かれるとか」
明海「焼かないから」

明海は焼き鳥ボディソープを泡立てて、あすさんのきゃしゃな背中を洗い始めた。
頼りがいのなさそうな、猫の額ほどの狭い背中である。

明海「あすさんの背中……女の子みたい……」
あすさん「背中だけ女の子か……」
明海「肩も柔らかくて……女の子を触ってるみたい……」
あすさん「ふむ……」

自分は女の子と一緒にいるのではないか……
そう思った明海は恥ずかしくなってきた。



あすさん「ちょっと肩をもんでくれないかな」
明海「あら、肩こってるの?」
あすさん「長時間、緊張が続いたせいでね…」
明海「そっか~…じゃあサービスしちゃおうかな」

あすさんの貧弱な肩を両手でもみ始める明海。
やはり女の子を触っているような感覚である。

あすさん「両手で同時にもんでみてくれる?」
明海「…こうかな?」
あすさん「ああ…次は右手に力を入れて」
明海「…こ、こうかしら?」
あすさん「よしよし…次は左手だ」
明海「……あすさん……絶対、変なこと考えてるでしょ……」
あすさん「いやいや、そのまま続けて」
明海「もうっ…あすさんのえっちー…」

あすさん「明海、利き手は右だったかね?」
明海「そうだよ」
あすさん「鉛筆やはしは右手で持つ?」
明海「うん。昔からそう」
あすさん「ちょっと私の手を握ってみてくれないか」
明海「わわわ! あ、あすさん!!そんなにあたしに接触したいのね!!」
あすさん「そう、そうやって力を入れて、ぎゅーっと」
明海「きゃー」


この光景を、明海の母は目をそらさずに見ていた。

そして明海の母の姿を、執事は影で見守っていた。


明海「あすさ~ん…いつまで手を握ってるの? 体が冷えてきちゃったよ…」
あすさん「おっと……」
明海「温泉に入って握り直そうよ! なんちゃって」
あすさん「よしよし」

二人はのぼせた温泉に再び入っていった。

明海「あすさんの手も女の子みたい……」
あすさん「ふむ…ふむ…」
明海「そんなにあたしの手が気に入っちゃったの?」
あすさん「いや、そうじゃな…」
明海「もう! さっきから否定してばかりだよね!」
あすさん「いや、いや、本当に、そういう意味じゃないんだ」
明海「そろそろ本気で幻滅しちゃうよ…」
あすさん「明海の両手の握力が…」
明海「握力が~?」
あすさん「右と左で違いがない」
明海「んー……」
あすさん「で、右利きであることを意識したら、右手のほうが強くなった」
明海「……それで?」
あすさん「体形だけではなく、左右の運動能力も対称的ということだ」
明海「そうなのかなぁ~…」
あすさん「…………」
明海「で……対称的だから…なんなの?」
あすさん「違和感の正体は、もしかすると………」
明海「もしかすると………?」
あすさん「ホムンクルス……」
明海「……はい?」
あすさん「生体の標本に使われる薬品ではないぞ」
明海「それはホルマリン……」
あすさん「明海が人工的に作られた存在だとしたら……」
明海「……冗談でしょ~」
あすさん「明海、自分が生まれたときの記憶はあるか?」
明海「えー? ある人のほうが珍しいでしょ?」
あすさん「思い出の物品などはないか?」
明海「あー、写真ならあるんじゃないかな?」
あすさん「見たことは?」
明海「あたしは見たことないけど…」
あすさん「執事なら知ってるか?」
明海「聞いてみたら? 写真とか持ってるかもしれないし」
あすさん「行くぞ」
明海「えー! もうちょっと温まっていこうよ~」



ホムンクルス……

実は、ある錬金術師がホムンクルスなのである。
かなり身近な存在であり、それはあすさんとも親しい。

ホムンクルスというのは人工生命体のことである。

人間の種子とホワイトハーブ、牛乳、卵黄、クリの花、血と汗と涙の結晶を三日三晩、弱火で煮込んだものを放置し、
腐敗させると──腐敗臭が漂い、猛烈に気分が悪くなる。

そして49日が過ぎると、人間の子どもが興味本位でその物体を見にやってくる…