マナビノギ

マビノギハァンタジーライフ

2010年09月

食事も無事に終わり、これでようやく眠りにつける──

どうせ寝室まで歩かなければならないのだろうが、やっと休むことができる…。

あすさんの長い一日が終わりに近づいてきた。


明海「ごちそうさま~」
あすさん「うまかった」
明海「さぁて、どうしよっかな~?」
あすさん「私は布団へ直行したい」
明海「きゃーーーーーーーーーーーーーーー」
あすさん「明海とは別々だろう……常識的に考えて……」
明海「えええええええ! がっかり~~~~~…」
あすさん「…本当に眠いんだ…ここで寝てもいいくらいに…」
明海「あたしの膝枕へどうぞ!」
あすさん「…やっぱり布団でいい…」


あすさんは1日7時間以上の睡眠を必要としている。
夜更かしをすればするほど、起きるのが遅くなってしまうのだ。


明海「あ……寝る前にマビにインしなきゃっ!」
あすさん「……もう勘弁してくれ……」
明海「あすさ~ん! もう少しだけ付き合って! ね!」
あすさん「眠すぎてマビなんて操作できない……」
明海「ついてくるだけでいいからぁ~! お願い!」
あすさん「パソコンの前で寝ちゃうよ…たぶん…」
明海「どんなパソコンなのか、あすさん興味あると思うんだけどな~」
あすさん「そうか……」
明海「ちょっとマビやったら寝かせてあげるから、もう少しだけ起きててね!」
あすさん「は~……い……」


執事に案内され“ネットカフェ”の部屋へ歩いていく二人。


執事「こちらがネットカフェでございます」
あすさん「………ぜんぜん違う………」
執事「5万人が同時にプレイできる環境です」
あすさん「5万人……5万台のパソコンか……」
明海「すごいでしょ~」
あすさん「まぁ…私と明海の世代だけでは5万人家族には達しえないがな……5人が精一杯だろう…」
明海「5人って、あすさん! 人数以前にすごいこと考えてない!?」
あすさん「冗談だよ……」
執事「それでは、ごゆっくり」


とにかく近い座席へ。
移動が面倒なあすさんは近場に座った。


あすさん「これが5万台もあるのか……1つ5万円としても、25億円分のパソコ………」
明海「なになに? どうしたの?」
あすさん「パソコン…? サーバの間違いだ……」
明海「これが?」
あすさん「なんでXeon…」
明海「じーおん?」
あすさん「サーバ用のCPUだぞ…」
明海「すごいの?」
あすさん「クライアント向きのものではない…」
明海「高いものなの?」
あすさん「何もかも高い。高いのだが、マビノギでは性能を生かすことができない…」
明海「もったいないのね…」
あすさん「だいたいわかったから、用が済んだら寝させてくれ…」
明海「はいは~い」

あすさんは目が半分寝たまま椅子に座り、起きているフリをして画面のほうを向いていた。

明海「………あれぇ…おかしいなぁ……」
あすさん「………どうした…」
明海「マビがない…」
あすさん「…………」
明海「ねーねー、あすさーん! どうすればいいの?」
あすさん「寝ればいいと思うよ…」
明海「ちょっと~! なんとかしてよ~」
あすさん「ダウンロードしてインストール…」
明海「よしよし、あすさん頼んだ!」
あすさん「マビノギ公式サイトにアクセスして…」
明海「公式サイトってどこだっけ?」
あすさん「……はあ……」

仕方なく明海と交替したあすさんは、マビノギのクライアントをダウンロードすることにした。

あすさん「……遅すぎる……」
明海「あら……混雑してるのかな……」
あすさん「推定残り時間が……朝までかかるぞ……」
明海「うっそ~~~~~~~?????」
あすさん「……ちょっと床で横になる……」
明海「わかった! じゃあ画面が進んだら教えるね!」
あすさん「……寝なくていいのか…明海は……」
明海「あたしも寝たいけどさぁ……マビもやらないと……」
あすさん「悪いことは言わない…。明日も学校なのだから…マビはあきらめて寝たほうがいい…」
明海「うーん……」
あすさん「私の言うことを聞いてくれるといいのだが……」
明海「あすさん………」
あすさん「明日やればいいじゃないか…」
明海「うん…そうする…。ごめんね、あすさん……こんな遅くまで……」
あすさん「そのパソコンは朝まで放置しておこう…。インストールは明日、明海が学校へ行っている間に私がやっておくよ…」
明海「わーい! ありがと~! あすさん!!」

パソコンを放置したままネットカフェを出る二人。

明海「あすさんがもうぐったりしてるから、あたしと同じ部屋で寝てもらってもいい?」
あすさん「どこででも……いいよ……」
明海「もう少しだからね」
あすさん「一晩ぐっすり眠ったら、明日はここまでひどくはならない……と思う……」
明海「ぐっすり眠ってね」


やっと明海の寝室へたどり着いた。
時刻は午前2時を回ったところである。


明海「あすさん、あたしの布団でおやすみなさい」
あすさん「明海は……」
明海「あたしはベッドで寝るから大丈夫!」
あすさん「そうか、おやすみ……」
明海「おやすみ~~」




こうしてあすさんの長い一日が終わった。

警戒心は緩んだものの、あすさんは大きな疲労感に見舞われてしまう。
まだ明海の母には警戒が必要であるし、今さらながら自宅に連絡を入れていないこともあるため、
家庭教師としてのあすさんの初仕事は非常にハードなものとなった。


明海「あすさーん! どう~? あたしの浴衣姿! 似合ってる~?」
あすさん「…………えーと?」
明海「まさか、あすさん……着方がわからないの?」
あすさん「慣れないので……」
明海「んも~…しょうがないんだから~」
あすさん「いやぁ…なんか、もう、ぐったりして……」
明海「はい! できたわよ。うーん…どうしよう? 食欲もないの?」
あすさん「簡単に食べられるものを頼もうかな…」
明海「わかった。じゃあ行こう~」


明海はあすさんの腕をつかんで引っ張っていく。
ますます積極性を増していく明海の行動に、あすさんは戸惑いの色を隠せない。


あすさん「やはり明海の体は左右対称だ…」
明海「まだ言ってる~」
あすさん「モデルとしてもやっていけそうだ」
明海「モデルか~! あすさんに言われると自信が沸いてくるなぁ」
あすさん「…でも、路線がそれると心配だ……」
明海「ああ、そっち系には行かないから大丈夫だよ~。あすさんだって嫌でしょ」
あすさん「うむ……」
明海「あすさんだってモデルになれるんじゃない~?」
あすさん「私には無理だよ……」
明海「そうかな~? 需要はあると思うけどね」
あすさん「……なんの需要……?」
明海「あすさんを見たい人もいるんじゃない?」
あすさん「……そういえば…ここへ来るときに……」
明海「え? スカウトでもされたの!?」
あすさん「…………タゲられた…………」
明海「タゲられた??誰に??」
あすさん「とにかく、いろんな人に……」
明海「ほらね! タゲられるということは、それだけあすさんが目立ってるって証拠でしょ~」
あすさん「そうか……でも、タゲが切れるまで必死に耐えて…疲れた……」
明海「あらあらあら……お疲れさま……」


足を引きずりながら歩くあすさんを引っ張っていた明海であるが、
そんなあすさんを察してからは、少し加減するようになった。


執事「明海お嬢さま、aspirinさま、お待ちしておりました。どうぞ、こちらへ」
明海「ねーねー、あすさんは疲れてるみたいだから、座敷がいいんだけど」
執事「それはそれは……車椅子をお持ちしましょうか…」
明海「あすさん、どうする~?」
あすさん「いやぁ…」
執事「担架のほうがよろしいでしょうか?」
あすさん「いやいやいやいや…そこまで重症ではない…。どうせ持ってくるまでに時間がかかるのだろう…」
明海「あたしが押していくからいいよね。さ、歩いて歩いて」
あすさん「さすが…。毎日こんなに歩いている明海は元気がいい……」
明海「あすさんも慣れちゃえば大丈夫だからね」
あすさん「ははは……なんか、もう、どっちが面倒を見てもらっているのやら……」
明海「あははははは」
執事「なんとも楽しそうな明海お嬢さま……感激です……」
明海「泣いてる…」
あすさん「こんなに元気な明海は珍しいのか…」
執事「はい…このようなお姿は…初めてで……」

感激のあまり号泣する執事であった。

あすさん「…こんなことを聞くのはなんだけど……」
明海「なになに?」
あすさん「ちょっと執事の雰囲気が違っていたね?」
明海「あぁ、執事っていっても何人かいるらしいよ?」
あすさん「なん…だと…」
明海「あたしにも見分けはつかないけどね~」
あすさん「みんな同じに見えるぞ……?」
明海「うん」
あすさん「エージェント……」
明海「エージェント?」
あすさん「スミスとかブラウンとかジョーンズとか……」
明海「執事に名前つけちゃった?」
あすさん「マトリックスの……」
明海「あれか…。あんなんじゃないと思うけどな~」
あすさん「人工的な……」
明海「うーん。まぁ、その話は食べながらにしようよ」
あすさん「そうしよう。……まだ歩くのか…」
明海「それとも走る?」
あすさん「いいえ、歩きます……」


ようやく食卓にたどり着いた二人。
テーブルの上には色とりどりの食器が並べられている。


あすさん「あぁ…この皿に料理が出てくるのか…?」
明海「はい、メニュー」
あすさん「トーストと……サラダと……ホットココアでいいか」
明海「それだけで大丈夫?」
あすさん「うむ……さっさと食べて眠りたい…」
明海「そっか~」
執事「ご注文はお決まりでございますか?」
あすさん「このトーストと、サラダと、ホットココア」
明海「じゃああたしも同じでいいや~」
執事「かしこまりました」
あすさん「あ! あと! 明海の幼少期の写真を」
明海「あ、あすさん……そんな言い方すると…ヤバく聞こえるっ……」

執事「明海お嬢さまの…写真…でございますか…?」
あすさん「なければいいけど…」
執事「それは…今は…お見せすることが…できません…」
明海「あたしも見たい!」
執事「お…お嬢さま………」
あすさん「見せられない何かがあるな……」
明海「……まさか……」
あすさん「ああ、けっこう。写真を持ってこなくてもいいよ」
明海「え? 見なくていいの?」
あすさん「どうせフォトショップで加工した写真を持ってくるだろう」
明海「そ、そうか……事実は見せられないのね……」
執事「……申し訳ございません……」

執事は足早に厨房へ向かい、料理を持ってきた。

執事「お待たせいたしました」
あすさん「ん。ずいぶん早かったようだ」
明海「いつもこのくらいの速さで行動してほしいね…」
あすさん「……それでも、トーストは冷めている……」
執事「申し訳ございません。焼き立てをご用意いたしましたが、こちらへお持ちするまでの間に冷めてしまいました…」
あすさん「おいおい……飲食店として致命的な欠陥じゃないのか???」
明海「あたしは猫舌だから気にしてなかったけど……致命的だね……」
執事「明海お嬢さま、aspirinさま、本当に申し訳ございません…」
あすさん「ま、いっか……。食べよう」
明海「いただきまーす」


トーストとサラダとココアという、まるで朝食のように軽い夕食を食べる二人。

眠りに誘われ動作の鈍くなったあすさんの姿を見ながら、明海は十分な満足感を得ていた。

温泉でのぼせるほど体を温め、2日分の汚れを洗い流したあすさんが次に向かうのは、
待ちに待った品揃えのいいレストランである。

だがその前に、明海の誕生の記録を知らずにはいられなかった。

そんなことよりも、風邪をひかないように体をよくふいてから着替えるのが最優先である。


あすさん「温泉なんて久しぶりだった~」
明海「これから毎日でも入れるよ!」
あすさん「次に入るときは熱中症に気をつけよう…」
明海「飲み物も持参していかなきゃね~」
あすさん「また塩水を飲まされたんじゃぁ……」
明海「ね~」

更衣室へ入る二人。
しかし、部屋が男女別に分けられていないのである。
もともと家族で利用するつもりだからなのか、単なる設計ミスなのかはわからない。

あすさん「温泉に入るとき、明海はどこで着替えていたのかね…」
明海「へへへ……あすさんが目を覚ます前に着替えておいたんだ~」
あすさん「そうか……午前中にプールの授業がある日は、海パンをはいて登校した記憶があるなぁ…」
明海「わ~! 今より小さいあすさんを想像しちゃった~」
あすさん「たしかに、当時の私は気の小さい男だった……」
明海「小さいって…そういう意味じゃないよ…可愛い子どものあすさんってこと~!」
あすさん「可愛いかどうかは……もはや知る人もいない……」
明海「あたしは興味あるけどな~あすさんの過去」
あすさん「実は…私も知りたいんだ…自分の過去を…」
明海「あ……何か重大な思い出が…?」


あすさんには0歳より前の記憶がなかった
その代わり、0歳以降の出来事はすべて記憶している。


あすさん「温泉から出るときの“よくい”を着てみたかったんだ」
明海「よくい…………あぁ、“ゆかた”ね」
あすさん「これこれ」
明海「あすさん、それはバスローブっていうの」
あすさん「……浴衣じゃない?」
明海「どう見ても和服ではないでしょ?」
あすさん「……じゃあ、本物の浴衣は……」
明海「浴衣はこれ」
あすさん「それだ」
明海「ああっ! ちゃんと体をふいてから、これに着替えるの」
あすさん「タオルはどこに?」
明海「バスローブがタオルみたいなものなの。これを羽織っている間にふき取られるでしょ」
あすさん「そうだったのか」
明海「あすさんは家でこういうの着ないの?」
あすさん「風呂から出たら、タオルで拭くだけ」
明海「そっか~。これで一つ勉強になったね!」


本能的に浴衣を“よくい”と読んでしまうあすさんには、温泉はなかなかレベルの高いお風呂である。


明海「あすさん、いつまであたしを見てるの?」
あすさん「そのあとどうなるのかと思って」
明海「もーーーーっ! 女の子の着替えなんて見るもんじゃありません!」
あすさん「じゃあ見ない」
明海「あすさんって……」
あすさん「なに?」
明海「今のあすさんって、なにあすさん……?」
あすさん「なにあすさん………」
明海「だって……ぜんぜん違うんだもん…。真面目でもないし、ふざけてるわけでもないし…」
あすさん「第三のあすさん……」
明海「なんか……目が輝いて……好奇心に満ちた顔をしているよ……」
あすさん「好奇心あすさん……」
明海「まぁ、それだけあたしに興味があるってことよね~」
あすさん「そのとおり」
明海「ちょ…っ! ……こういうときは否定しないんだ……」
あすさん「私はただ純粋に興味があって、知識を得ようとしているだけだよ」
明海「知識か……うん。そう言われると妙に納得してしまう。たとえ先生になっても、学ぶ気持ちは忘れないのね」
あすさん「今のところ理不尽なことはないと思うけど……」
明海「あすさんはそうかもね。でもあたしは……そんなあすさんの突拍子もない言動に振り回されてる」
あすさん「申し訳ない……」
明海「んも~……なんで否定しないかなぁ~……」
あすさん「…………」
明海「ああっ! そんな……別に怒ってるわけじゃないよ???」
あすさん「ふむ…」
明海「あー。これって……んー……もしかして……?」
あすさん「なんだろう?」
明海「あたしが流れを完全に支配しちゃった~~~みたいな状況……?」
あすさん「そう思うかね?」
明海「そ…そう…うん…そう思う……」

あすさんは少し考えた。

あすさん「明海、それでいいんだ。それでいい」
明海「えー? なになになになに?」
あすさん「その調子だ。その調子でいけば役者になれるぞ」
明海「へ??こんな調子でいいの??」
あすさん「私が明海のペースに見事に乗った」
明海「ほほう……」
あすさん「この感覚が重要なのだろう」
明海「う? うーん……今回はあすさんの言っていることがわからない……」
あすさん「にやにや」
明海「にやにやって??」
あすさん「わからないだろう?」
明海「え? もしかして笑うところだった?」
あすさん「明海も私と同じで、自分の才能に気づいてないってことだよ」
明海「えーーーーーーーーー???????どういう意味~~~~~~~~~?????」
あすさん「明海には私の才能が見えるし、私には明海の才能が見える」
明海「ふむふむ……」
あすさん「でも本人には、その才能がまったくわからないということだ」
明海「あー…………そういうことか……。そういうことか……?」
あすさん「ね? どういうことかサッパリわからないでしょう?」
明海「ん~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~…」
あすさん「あまり考え込むと、見えるよ?」
明海「見える? …ちょっとっととととーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」



どうやら明海に対する疑いは杞憂だったようである。

今までの明海の言動は演技などではなく、本心であり、悪意は感じられなかった。

事実上、世界のほぼ半分を所有している明海の父親の会社は、
錬金術師がわずか1ヶ月で山脈を平地にしてしまうほどの強大な力を発揮し、
その後1年で鉄道や高速道路をも整備し、数億人が住むことのできる巨大な都市を完成させたのである。


都市の中心から離れた静かな土地に、今、あすさんと明海のいるビルが建っている。

その屋上の露天風呂のような温泉で二人はのぼせていた。


あすさん「……いかん……めまいがする……」
明海「お湯から出たのに体温が下がらない……」
あすさん「真冬の屋外で熱中症になるとは……」
明海「早く…冷たい水を……」

あすさんは執事から渡されたブザーのボタンを押した。

あすさん「なんだ…これ…呼び出しをするだけか…通話できるわけじゃないのか…」
明海「……ごめんね~……また何分か待たされるから……」


3分後…


執事「aspirinさま、お呼びでございますか」
あすさん「おせえよ………」
執事「申し訳ございません……」
明海「なんか冷たいジュースある?」
執事「はい。ただいまお持ちいたします」
あすさん「おい…今から持ってくるのかよ……往復で6分か? 今度は?」
執事「7分ほど…」
あすさん「緊急を要するってのに………」
明海「あすさん、蜂蜜ドリンクでいい?」
あすさん「それ…本当にドリンクか? 蜂蜜そのものじゃないだろうな……」
明海「野菜ジュースみたいなものがいい?」
あすさん「まぁ……こういう場合は生理食塩水が一番よさそうだな……」
明海「えっと…スポーツドリンクだよね? じゃああたしも同じものを」
執事「かしこまりました。7分ほどお待ちくださいませ」
あすさん「……早くしてくれぇ~……」
明海「意識が……」


7分後…


執事「お待たせいたしました。生理食塩水でございます」
あすさん「マジで持ってきやがった……」
明海「うっ………ただの塩水じゃ………」
執事「はい。医務室よりお持ちいたしました」
あすさん「気が利くんだか利かないんだか……」
執事「また何かありましたらお呼びください。それでは…」
明海「……ただの塩水……しかも生ぬるい……」
あすさん「いちおう処方薬の扱いなんだ。単なる塩化ナトリウムの水溶液なのに、医師の処方せんがなくては販売できない代物だ」
明海「なんて無駄な水溶液なの……」
あすさん「執事も真面目すぎるようだな……」
明海「こんなものが薬だなんて……」
あすさん「人間の体液に等しい浸透圧の食塩水に過ぎないのだが……」
明海「これがあたしの体液に等しい……」
あすさん「ゴーストの体液……」


生ぬるい塩水を飲み、どうにか容態が安定した二人である。


あすさん「これなら温泉の水をそのまま飲んだほうがよかっ…」
明海「あっ……!」
あすさん「雪……」
明海「わぁ~雪だ~!」
あすさん「温泉に降る雪か……風流だな……」
明海「積もるかな? 積もるかな?」
あすさん「これだけ冷え込んでいれば…積もるかもしれないな」
明海「うわーい! 積もったら遊ぼうね!」


雪を見てはしゃぎ出す明海。
急に元気を取り戻した明海を見て、あすさんは気になることを思い出した。


明海「雪だ~雪だ~楽しいな~! ……ん? あすさん?」
あすさん「…………」
明海「いやーん!!あすさんったら…あたしの水着姿に見とれちゃったの~?」
あすさん「いや、そうじゃない」
明海「えへへへ…見たかったら見てもいいのになぁ~。スタイルには自信あるんだよ♪」
あすさん「そう。そのスタイルなんだ」
明海「えっ!?ちょ、ちょっとぉ! どこ見てるの!!」

あすさんの目はいよいよ真剣になっていた。
まるで科学者が重要な実験を行い、経過を観察するときの目のようであった。

明海「み…見てもいいけど…手を出したらだめなんだからね??」
あすさん「明海、両足をそろえてまっすぐ立ってみてくれないか」
明海「ええ? 今度はなんなの~???????」
あすさん「両腕を前に伸ばして」
明海「えー? これはどういうプレイなの~?????」
あすさん「そのまま両腕を上に」
明海「いやーーーーーーーーーーーー…」
あすさん「片足でバランスをとって立って」
明海「こ、こう?」
あすさん「両足を伸ばして座って」
明海「はい…っ」
あすさん「首を左右に振って」
明海「ぶんぶんぶん!」
あすさん「まっすぐに私の顔を見て」
明海「じど~~~~~~~~~~~~」
あすさん「なるほど……」
明海「なああっ? なになになになに???一人で納得してないで教えてよ~~!!」

あすさんの目は真剣だが、決していやらしいものではなかった。

あすさん「最初に明海を見たときから、ずっと妙な違和感があったんだ……」
明海「違和感ってなによーーーっ! 失礼なっ! 素直に可愛いって言えばいいのに~…」
あすさん「可愛さとは違うんだ」
明海「はいはい、あたしに惚れちゃったのね」
あすさん「明海の体は、ほぼ完全に左右対称の形をしている」
明海「…………ええ? 左右対称? みんなそうじゃないの~?」
あすさん「いや。左右対称の人間はいない。目の形、耳の高さ、腕の長さなどは微妙に異なっているんだ」
明海「そりゃ、微妙に異なっていることくらいあるでしょうよ……。あたしだってそうじゃないの?」
あすさん「ところが、どうだ……明海の左右は肉眼では違いがわからないくらい対称になっている……」
明海「んも~!!それはあすさんの目が悪いからだってば~!」
あすさん「整形してもこんなに左右対称の体にはならない……」
明海「あすさん? あたし、これでもノーメイクだからね? 当然でしょ? お風呂に入るのに化粧なんてね? さ、体、洗おうか?」
あすさん「そうしようか」

あすさんは温泉から少し離れ、洗面器を裏返した上に腰かけた。椅子に座ればいいのに。
明海は焼き鳥の香りがするボディソープを手に取り、あすさんの背中にかがんだ。

あすさん「なんてジューシーな香りがするんだろう…」
明海「焼き鳥ボディソープだってさ」
あすさん「食べたくなるな…」
明海「食べちゃだめよ」
あすさん「このまま焼かれるとか」
明海「焼かないから」

明海は焼き鳥ボディソープを泡立てて、あすさんのきゃしゃな背中を洗い始めた。
頼りがいのなさそうな、猫の額ほどの狭い背中である。

明海「あすさんの背中……女の子みたい……」
あすさん「背中だけ女の子か……」
明海「肩も柔らかくて……女の子を触ってるみたい……」
あすさん「ふむ……」

自分は女の子と一緒にいるのではないか……
そう思った明海は恥ずかしくなってきた。



あすさん「ちょっと肩をもんでくれないかな」
明海「あら、肩こってるの?」
あすさん「長時間、緊張が続いたせいでね…」
明海「そっか~…じゃあサービスしちゃおうかな」

あすさんの貧弱な肩を両手でもみ始める明海。
やはり女の子を触っているような感覚である。

あすさん「両手で同時にもんでみてくれる?」
明海「…こうかな?」
あすさん「ああ…次は右手に力を入れて」
明海「…こ、こうかしら?」
あすさん「よしよし…次は左手だ」
明海「……あすさん……絶対、変なこと考えてるでしょ……」
あすさん「いやいや、そのまま続けて」
明海「もうっ…あすさんのえっちー…」

あすさん「明海、利き手は右だったかね?」
明海「そうだよ」
あすさん「鉛筆やはしは右手で持つ?」
明海「うん。昔からそう」
あすさん「ちょっと私の手を握ってみてくれないか」
明海「わわわ! あ、あすさん!!そんなにあたしに接触したいのね!!」
あすさん「そう、そうやって力を入れて、ぎゅーっと」
明海「きゃー」


この光景を、明海の母は目をそらさずに見ていた。

そして明海の母の姿を、執事は影で見守っていた。


明海「あすさ~ん…いつまで手を握ってるの? 体が冷えてきちゃったよ…」
あすさん「おっと……」
明海「温泉に入って握り直そうよ! なんちゃって」
あすさん「よしよし」

二人はのぼせた温泉に再び入っていった。

明海「あすさんの手も女の子みたい……」
あすさん「ふむ…ふむ…」
明海「そんなにあたしの手が気に入っちゃったの?」
あすさん「いや、そうじゃな…」
明海「もう! さっきから否定してばかりだよね!」
あすさん「いや、いや、本当に、そういう意味じゃないんだ」
明海「そろそろ本気で幻滅しちゃうよ…」
あすさん「明海の両手の握力が…」
明海「握力が~?」
あすさん「右と左で違いがない」
明海「んー……」
あすさん「で、右利きであることを意識したら、右手のほうが強くなった」
明海「……それで?」
あすさん「体形だけではなく、左右の運動能力も対称的ということだ」
明海「そうなのかなぁ~…」
あすさん「…………」
明海「で……対称的だから…なんなの?」
あすさん「違和感の正体は、もしかすると………」
明海「もしかすると………?」
あすさん「ホムンクルス……」
明海「……はい?」
あすさん「生体の標本に使われる薬品ではないぞ」
明海「それはホルマリン……」
あすさん「明海が人工的に作られた存在だとしたら……」
明海「……冗談でしょ~」
あすさん「明海、自分が生まれたときの記憶はあるか?」
明海「えー? ある人のほうが珍しいでしょ?」
あすさん「思い出の物品などはないか?」
明海「あー、写真ならあるんじゃないかな?」
あすさん「見たことは?」
明海「あたしは見たことないけど…」
あすさん「執事なら知ってるか?」
明海「聞いてみたら? 写真とか持ってるかもしれないし」
あすさん「行くぞ」
明海「えー! もうちょっと温まっていこうよ~」



ホムンクルス……

実は、ある錬金術師がホムンクルスなのである。
かなり身近な存在であり、それはあすさんとも親しい。

ホムンクルスというのは人工生命体のことである。

人間の種子とホワイトハーブ、牛乳、卵黄、クリの花、血と汗と涙の結晶を三日三晩、弱火で煮込んだものを放置し、
腐敗させると──腐敗臭が漂い、猛烈に気分が悪くなる。

そして49日が過ぎると、人間の子どもが興味本位でその物体を見にやってくる…

相葉家の風呂はどこにあるのか。
どんな大浴場なのか。
また移動に時間がかかるのか……


あすさんは若干ワクワクテカテカしつつ、執事に案内されて家の中を歩いていた。



あすさん「んっ? さらに上の階へ? ここが最上階で、上には何もないはずでは…」
執事「はい。屋上に素晴らしい露天風呂をご用意しております」
あすさん「屋上に!?」
執事「外は冷え込んでおりますが、きっとご満足いただけると…」
あすさん「77階建てのビルの屋上……地上よりもかなり寒そうだな……」
執事「地下1500mから湧き出る天然の温泉を汲み上げたものでございます。とても温まります」
あすさん「屋上の温泉なんて……誰かに見られるのではないか? プライバシーも何もないような…」
執事「ご安心くださいませ。この建物より高いものは周囲にはございません。誰も屋上を見ることはできないのです」
あすさん「な、なるほど……」


5分ほど歩き、屋上へ出る扉の前までたどり着いた。


執事「aspirinさま、こちらが更衣室になります」
あすさん「更衣室だけで、普通のビル1階分くらいの広さがあるぞ……」
執事「もし迷われましたら、このブザーでお呼びくださいませ。それでは、ごゆっくり」



あまりゆっくりしていては、食事の時間がなくなるのではないか──
この家では、なるべく急いで行動したほうがよさそうである。



あすさんは、安物だが純白の下着を脱いで、無数にあるロッカーのうちの1つに納めた。


あすさん「これだけ大量にロッカーがあったら、どこに入れたのかわからなくなるだろう……。
 いやいや、そもそも3人家族なのに、なぜ無数のロッカーが必要なんだ……???」


更衣室は暖房が効いていて快適であるが、外へ出たら……!
しかも更衣室から外へ出るまでの道が長そうである。


あすさん「出口まで1分半くらいとみた」


しかし3分かかった。
強風が吹き付ける屋上にようやくたどり着いた。


あすさん「うお~~寒いっ!!!で、温泉はどこだ??」


屋上に出ても、すぐには温泉が見つけられないほどの広さである。


雲の中に入るほどの高度ではないため、白い湯気の立ち込めているところが温泉であることはわかったが、
そこまで歩くのにまた数分かかってしまうのである。


あすさん「ここは走り抜けるしかないっ! うおおお! 走ると余計に風が冷たい!」


あすさんが走り出した瞬間、


明海「こらぁ! 走ると危ないよ! あすさん!」
あすさん「あああぁっ!」


グキュッ!
明海が大きな声で注意をしたため、あすさんは驚いて転倒してしまった。


明海「ほらほらぁ! プールでも走っちゃだめって言われたでしょ~!」
あすさん「…あ、明海がいきなり大声を出すから……」
明海「もうっ! 大丈夫?」
あすさん「ああっ! ちょ、ちょっと待って…」
明海「ん~?」
あすさん「あ、あっち向いてるから…先にどうぞ…」
明海「なになに?」


明海はすでに温泉に入っていた。


明海「やだぁ~! あすさん! あたしが裸でいると思ったの???????」
あすさん「……思ったの」
明海「大丈夫! ちゃ~んとタオル巻いてるよ!」
あすさん「びっくりした…」
明海「って……ひゃああああああ!!!!!!!」




あすさんは(略)であった。
リャクサレテルワァ*:.。..。.:*・゚(n;‘∀)η(略




明海「いやーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー…」
あすさん「ごめんごめん…。温泉にはタオルを入れてはいけないものだと思ってたから……」
明海「うーーーーー……そりゃそうだけど………」
あすさん「ちゃんと注意書きをしてもらいたいね…」
明海「あすさんの真面目っぷりに驚かされる……」
あすさん「で、でも、ほら……温泉に入ってしまえば気にならない…よね?」
明海「あたしは気にするわよ~~~~っ!」
あすさん「じゃあ…執事を呼んでタオルを持ってきてもら…」
明海「いやー! 余計に恥ずかしいから呼ばないで!」


あすさんの珍事のせいで妙な雰囲気になった混浴の温泉。


あすさん「まいった……」
明海「せっかくの雰囲気が台無しじゃない…」
あすさん「……しょぼん」
明海「……あぁ……でも、あすさんがすごく真面目だってことはよくわかったよ!」
あすさん「………」
明海「ただの真面目じゃなくて……なんていうのかな…究極の真面目? みたいな………」
あすさん「………」
明海「あすさんのようなタイプはいない…っ!」
あすさん「そうなのか……」
明海「そうなのだよ」


あすさん「……ひとつ聞いてもいいかな……」
明海「なーに?」
あすさん「3人で暮らしているのに、ロッカーが無数にあるのはなぜなのかな……」
明海「さあ、なぜでしょう?」
あすさん「本当はもっと大勢で暮らしているのか、家族以外の人も利用するのか…」
明海「ん~……惜しいけど……」
あすさん「……違うのか……」
明海「あすさんなら気づきそうなことだよ」
あすさん「私が気づきそうなこと……?」
明海「そうそう、ほら、なんていうか………」
あすさん「無数のロッカーが意味するものは……」
明海「答えがわかったら…すごいかも……」
あすさん「…すごいものが答え……」
明海「そう、そうだよ……」


30分ほど考え込んでしまうあすさん。
温泉に頭までもぐったり、夜空を見上げたり、食事のメニューを思い浮かべたりしながら考え続けた。


明海「あすさん……そろそろ……答えを出して……のぼせそうだよ……」
あすさん「…………もしかして…………」
明海「なに………」
あすさん「答えは…もう…これしか考えられないのだが……」
明海「なになに……言ってみて……」



30分におよぶ長考であすさんが導き出した答えとは?



あすさん「ロッカーをすべて利用するくらいの大家族にする予定があるのか?」
明海「…………!」
あすさん「正解か?」
明海「………正解」
あすさん「そうだったのか…錬金術ははるか将来を見越していたわけだな……」
明海「でも……」
あすさん「ん?」
明海「現実には、お父さんの跡を継ぐ人がいないの……」
あすさん「そうか……相葉家には男子がいない……。明海が継がないといけないのか……?」
明海「あたしは役者になりたいのに…」
あすさん「私にも無理だ。錬金術といえばゴーレムしか使えない……」



温泉でのぼせそうになりながら、明海は突然、あすさんの目をまっすぐ見つめた。



明海「あすさん……あたしは、あすさんのことを思っているから、この忠告を受け入れてほしいの……」
あすさん「忠告……?」
明海「真剣に聞いてね……」
あすさん「わかった」
明海「お母さんは今後、あすさんに跡を継がせようとあらゆる手を使ってくるはず。
 でもそれは、あたしの知っているあすさんから自由が奪われてしまうのと同じこと…………
 弓で戦いたいのに、武器がシリンダーしかないような状態だよ……
 あすさんがそんなふうになったら悲しい……」
あすさん「…………じゃあ、さっき受け取ったお金には手をつけないようにしなくては…」
明海「こんなことになって…ごめんね……」
あすさん「たったの300万円で自由を奪われて……たまるか!!」
明海「あたしはあすさんと一緒にいたいけど……このまま一緒にいたら……………」
あすさん「……………」
明海「本当にごめんね……」


あすさん「今ここで手を引くこともできるし、そうしたほうが絶対にいいということもわかる。
 ……だが、私がここで立ち去ったら、明海の将来はどうなるんだ? せっかく希望が見えてきた。
 そうじゃないのか? 私だって明海のことを思っている。だから命がけでここまで来たんだ。
 私がいなくなったら、明海はまた以前の状態に戻ってしまうだろう……」
明海「……あす…さん……」
あすさん「……熱い……のぼせそうだ……ちょっと上がろうか……」
明海「はい……」
あすさん「…………あ」
明海「…どうぞ…あたしのタオルを…」
あすさん「おいおいおいお…!!!」
明海「…大丈夫…ほら…下に水着も着てたんだよ…」
あすさん「……用意がいいな……」
明海「ふふふ……」



視力の悪いあすさんは、明海の体を鮮明に見ることができない。


だから心の目で彼女の姿をとらえていたのである。



見た目にとらわれずに判断できる能力こそ、明海がもっとも評価しているあすさんの特質であり、
今まで誰にも感じたことのない魅力があすさんにはあって、夢中になる部分なのである。



温泉に30分も入ったままでいることは危険だから、あまり考え込まないようにしたほうがよい。



その一部始終を明海の母が見ていた。


会話は聞き取れなかったが、水着の明海と腰にタオルを巻いたあすさんの姿をじっと見つめていた。


そして、明海の母の姿を執事が見ていた。



執事「(明海さま、aspirinさま……お二人のお力なら、きっと奥さまのお気持ちを変えることがおできになります…)」

明海「あすさん、普通って何なの?」



明海はいきなり難題を提示した。
普通が何であるかという質問など、基準をどこに置くかで変わってしまうからだ。
そのため、あすさんも回答に詰まることになる。


あすさん「その質問に答えられる人はいないよ…」
明海「あたしは普通なの?」
あすさん「明海が普通だとすると、私は普通ではなくなる」
明海「あすさんが普通だとすると?」
あすさん「明海は普通ではなくなる」
明海「どっちが普通なの?」
あすさん「どっちも普通だよ。でも、どっちも普通ではない」
明海「……異常ってこと?」
あすさん「異常であることが普通なのだ」
明海「異常じゃない人が普通じゃないってこと……?」
あすさん「そんな人は存在しない。みんな、どこかが普通ではないからだ」
明海「普通ではないことがいいことなの?」
あすさん「いいか悪いかも決められないよ。あるときにはよくて、あるときには悪くなるかもしれないから」
明海「決められない……」
あすさん「普通かどうかを考えたって誰も得をしない。一人一人を考えることに意味があるのではないかな」
明海「……そっか……」
あすさん「普通の役者というのはどんなものかと聞かれても、答えようがないだろう?」
明海「たしかに…」
あすさん「普通の役者は役者なのかどうかも怪しい」
明海「役者ではないかもしれない……」

あすさん「明海が普通だと思っているのは、どんな人なんだ?」
明海「そう言われてみると……まったくわからない……」
あすさん「明海が自分自身を普通だと思うことができれば、それでいいのかね?」
明海「………思っても意味がない気がする……」
あすさん「普通と思うことに意味などない。ただ、似た人が集まることで強められる場合がある」
明海「……それであたしは学校に通っているわけか……」
あすさん「目的に合った学校に、同じ目的を持つ人が通う。理科室で楽器を演奏する人などいないだろう」
明海「空気が読めてないね……それこそ普通じゃない……」
あすさん「そういうことだ」


難しい質問だったが、どうにか納得のいく答えを与えることができたようである。


明海「やっぱりあすさんに来てもらって正解だったな~」
あすさん「いや、まだわからないよ」
明海「でも今は間違いなくいいんだよ」
あすさん「そうそう。今は、だ」
明海「それはあすさんも納得してくれる?」
あすさん「異議なし」
明海「よ~し! じゃあ今日の授業はここまでね!」
あすさん「はーい」
明海「ぶはっ! また立場が入れ替わってる!」
あすさん「時にはボケてみせるのも先生の仕事だ」
明海「aspirinさん、すごいです!最高です!」



明海の一連の反応は演技なのか──


十分な理解力のあることをうかがわせる明海であるが、それは演技力の高さを示すものなのか、
それとも、あすさんの説明がたまたま理解しやすかっただけなのかは、まだわからない…。


執事「明海さま、お風呂のお時間でございます」
明海「え? もう?」
執事「お勉強に夢中になられているようで…」
あすさん「…い…いつの間に現れた…」

気配を感じさせずに二人の前に現れた執事。
紳士的なスーツを身にまとった初老の男性で、明海が生まれたときから面倒を見ているため、
まるで孫娘に接するかのような口調と態度があり、優しい雰囲気が漂っている。

あすさん「お風呂のあとは、お食事でもあるんですか?」
執事「はい。ロフリオスのような偏った食事ではなく、素晴らしいメニューからお選びいただけます」
あすさん「それは楽しみだ」
明海「あすさんあすさん! あすさんもお風呂入るよ!」
あすさん「へ?」
明海「2日間も入ってないでしょ」
あすさん「あぁ…そうだった…」
明海「あたしが洗ってあげるから、一緒に来て!」
あすさん「………え?」
執事「aspirinさまもご一緒にどうぞ。お二人の親睦を深めるためでもあります」
あすさん「どこまでが演技なんだね?」
明海「演技? 毎日お風呂に入るのは常識でしょっ!」
執事「さ、どうぞこちらへ。お着替えも用意しております」
あすさん「執事も入ってくるのかね?」
執事「とんでもない……」
明海「あすさんってお風呂の時間が長いよね。何をしてるのか気になる~」
あすさん「私はただ動作が遅いだけだ……」
明海「じゃあスローなあすさんを見られるのね」
あすさん「見ないで~~~マジで~~~」


すっかり明海と執事のペースに乗せられているあすさんである。

浴場へと連れていかれた。

家庭教師というのは、いわゆる学校の先生とは異なり、免許や資格を必要とするものではない。
そのため学校の先生以上に実力や人柄、生徒との相性が問われる分野であるから、
あすさんの出る幕などほとんどないといっても過言ではないのであった。


明海「あすさんは何を教えてくれるの?」
あすさん「何を教える……うーん……」
明海「何を勉強したらいいのかわからないね」
あすさん「ちょっと教科書を見せてもらってもいいかな?」
明海「どぞ~」

明海は席を立ち、教科書のあるところへ歩いていった。
あすさんはあわてて呼び止める。

あすさん「待て待て、まさか…教科書が遠くにあるのか…」
明海「うん~」
あすさん「じゃあ…そこでやろう…」
明海「はーい」

レストランから2分ほど歩いていくと、明海の学習机らしきものが置かれているところにたどり着いた。

あすさん「こんなに部屋を広く作って…大変だろう…」
明海「どうってことないよ。慣れちゃえば!」
あすさん「いつになったら慣れるかな…」
明海「気にしない気にしない! はい、これが教科書の全部だよ」
あすさん「どれどれ……」

あすさんが適当な教科書を手に取り、パラパラとページをめくってみる。

あすさん「……な、なんだこれは……」
明海「アッー!」

教科書の至るところにカラフルなペンで落書きがされている。しかも妙に見覚えのある絵だ。
人形っぽい目、微笑む口、ピンクのローブ……
一目でaspirinを描いたものであることがわかってしまった。

あすさん「どんだけaspirinラヴなんですか……」
明海「いや~! 落書きはどうでもいいの!」
あすさん「授業中も頭はマビのことでいっぱいか……」
明海「もうっ! 仕方ないじゃない~~」
あすさん「じゃあ…ノートのほうも…やっぱり……」
明海「これは見せないっ!」


明海との授業は難航した。
学習どころではない話題が次々と飛び出してくるからである。


あすさん「はあ……授業を始めるつもりの時間から、もう1時間が過ぎてしまった…」
明海「あっという間だね。あすさんとしゃべるの楽しいから」
あすさん「いやぁ…でも…これじゃだめだ……」
明海「楽しいから、いいってことにしようよ~」
あすさん「明海のお母さんがなんて言うか……」
明海「お母さんも、別にあすさんに期待なんかしてないと思うよ~?」
あすさん「ぶはっ!」
明海「あぁっ! あたしは期待してるからね!」
あすさん「お母さんも、って…」
明海「あーっ! 違うの違うの! 一般論として、だよ。あたしは期待してるよ!」
あすさん「まぁ、いいか……期待されても困るし……」

明海「あすさんって体育はだめなんだっけ?」
あすさん「だめすぎる」
明海「運動が苦手?」
あすさん「正確に言うと、運動そのものが苦手なのではなく、他の人と協力したり、競い合ったりするのが苦手」
明海「たとえば?」
あすさん「うーん、逆に考えよう。一人で体を動かすだけなら、別に苦手なことはないんだ」
明海「ほう!」
あすさん「試合や競技という概念がある運動は、基本的にだめと思っていい。野球もサッカーも、大縄跳びも、リレーも…」
明海「試合のないスポーツって…なんだろう……」
あすさん「球技などはほとんどアウトだ。一人だけでは成立しえない運動だからな。一対一でも相手がいるのだから、アウトだ」
明海「体操とかはどうなの?」
あすさん「それは悪くない」
明海「おお!!」
あすさん「でも体操の授業なんて、無視されるくらいの内容だった」
明海「水泳は?」
あすさん「ほとんどだめだ。全身の連携が上手くできず、息継ぎの要領が身につけられない」
明海「ぜんぜん泳げない?」
あすさん「頭を水面から出していなければ泳げない。犬かきだな…」
明海「そっかぁ…無理は言えないね。泳げない人にとっての水泳は、命にかかわるもんね……」
あすさん「明海はよく理解しているな……私が教える必要もないくらいに……」
明海「よく理解できるよ。理解しようとしてるんだから…」
あすさん「……まいったな……」
明海「なにが?」
あすさん「どっちが先生なのかわからなくなってきた」
明海「うははは! そうだね!」


明海の鋭い洞察に驚かされるあすさん。
これほどの理解力を持っていながら、どうして学校へ行きづらいと感じるようになったのか。

それ以上に疑問なのは、億万長者なのになぜ役者になる夢を抱いているのかである。
わざわざリスクの大きな将来を目指すことが本当に必要なのか……。


ここへ来てあすさんは、明海に釣られているのではないかと思い始めた。


あすさん「……そうだ!」
明海「なになに?」
あすさん「ちょっと気が早いけど、進路相談をしよう」
明海「進路相談……」
あすさん「生徒の進路について考えることも先生の仕事だからな」
明海「おお~! かっこいい!」

役者志望の明海を徹底的に追及することになった。

あすさん「役者になりたいと言っていたね?」
明海「うん」
あすさん「どうして役者になりたいのかな?」
明海「……あたしもお父さんみたいに目立つ存在になって、人の役に立ちたいと思ったから……」
あすさん「お父さんにはまだお会いしていないけど、その偉業は全世界を震撼させるほどの影響を及ぼしている」
明海「お父さんの会社が、日本のGDPの650%を占めているんだって」
あすさん「信じられない数値だな。世界のほぼ半分に匹敵するんだぞ…一つの会社が…何かの間違いなんじゃないのか…」
明海「間違いだとしたら、あたしの身の回りにあるものは全部うそってこと。あすさんは夢か幻覚を見ていることになるよ」
あすさん「………お父さんを超える存在になりたいと思うようになったわけだね?」
明海「うん。だってあたしにはお父さんみたいな錬金術は使えないから……」
あすさん「役者としてテレビや舞台の上に立てば、目立ったことになるわけか……」
明海「お母さんはあたしに、普通に進学して、普通に就職して、普通に結婚でもすればいいって言うけど、
 お母さんはお父さんを好きではないみたいで……結婚という部分が、どうしても信用できないの」
あすさん「な…なんてことだ………」
明海「……そもそも普通って何なのか……お母さんはあたしを普通と言うけれど……じゃあ普通じゃないものって何なのか……」
あすさん「なるほど……」
明海「だから…ね……あたし、学校でも友達ができなくて……」
あすさん「まるで次元が違うように思われているね……」
明海「……何も悪いことしてないのに……」
あすさん「大変だね…」

涙を浮かべながら話す明海。



これは演技なのか?



役者志望の人間なら、このくらいのパフォーマンスはあるかもしれないと、あすさんの緊張はいっそう高まっていった。

月謝300万円という破格の家庭教師。
あすさんによる初めての授業が行われることになった。
広すぎて落ち着けない明海の部屋での個人授業は、どんな内容で執り行われるのだろうか。


明海「センセー、質問でっす!」
あすさん「い…いきなり質問? 何でしょう?」
明海「センセーのフルネームって何ですか?」
あすさん「アセチルサリチル酸……」
明海「ほんとに~?」
あすさん「もともとバイエルアスピリンは登録商標だったのだが、現在ではアスピリンは普通名詞になっている」
明海「アセチルサリチル酸って?」
あすさん「ステロイドではない抗炎症薬の一つで、痛みや発熱や炎症の治療に用いられる代表的な医薬品だ」
明海「どこにあるの?」
あすさん「バファリンは知ってるかな?」
明海「半分がやさしさでできている……」
あすさん「そう。それに含まれている」
明海「半分?」
あすさん「いや、質量比でいったら半分以上がアスピリンだ」
明海「半分以上があすさんでできている、ってこと?」
あすさん「そう思っていいかもしれない」

明海「なんであすさんはaspirinって名前なの?」
あすさん「うーむ…本当のところは自分でもよくわからないんだ…」
明海「適当につけたとか?」
あすさん「実はマビノギに最初に作成したキャラクターはaspergerという名前で、スキルを適当に上げて失敗してしまった」
明海「ほっほー」
あすさん「次にalbuminという名前のキャラクターを作ったものの、これもメインにはならなかった」
明海「へぇー」
あすさん「次にaluminaという名前のキャラクターを作り、2回ほど転生して育てたのだが、これもメインにはならなかった」
明海「えー!?何がいけなかったの?」
あすさん「まぁ続きを聞いてくれ。私は最初、複数のキャラで役割を分担していこうと考えていた。
 最初のaspergerはギルドマスター、2番目のalbuminは弓、3番目のaluminaは近接…という具合にね」
明海「ふむふむ」
あすさん「それで4番目となるaspirinを作成し、ハーブ豚を購入して薬草学と調合を担当しようとしたんだ」
明海「ふむふむふむ」
あすさん「当時も今もあまり変わらないが、弓や近接の攻撃スキルよりも、生産スキルのほうが苦労するだろう?
 albuminのレンジアタックやaluminaのウィンドミルよりも、aspirinの調合のほうがはるかに大変だったんだ。
 桁違いに手間がかかって、もっとも使用時間の長いキャラになったため、結果的にメインになってしまったわけなんだ」
明海「なるほど!!やっぱり育てる手間のかかる子ほど愛着が沸くもんね!」
あすさん「薬草学も調合もIntとDexが上昇する。魔法と弓に影響する重要なステータスということなので、
 これはもう手間をかけた分だけ強くなると信じて、aspirinをメインにしようと決意するに至った」
明海「そうなんだ~! でも、なんで名前がaspirinなのかという説明にはなってないね」

あすさん「初めのキャラはすべて頭文字がaで統一されている。これは大した問題ではない。
 しかし、アスペルガー、アルブミン、アルミナ、アスピリンの中で、よく知られている単語はアスピリンだ」
明海「たしかに。ほかは知らないなぁ~」
あすさん「ところが、意図的にアスピリンをメインにしたつもりはまったくないんだ。
 たまたま習得したスキルと、ランクアップの手間が特に大きかったキャラがアスピリンだったというだけであって、
 初めからメインになる予定があったわけではないのだよ」
明海「でも、その4つの名前だったら、アスピリンが一番よさそうっていうか、親しみやすそうに聞こえる」
あすさん「そうなんだよ。もし私のキャラが別の名前だったら、おそらく、あすさんではなかっただろう…」
明海「……たしかに! あすさんっていうイメージじゃなくなっていたかも……」
あすさん「だから、たまたまそうだった、としか説明のしようがないんだなぁ…」
明海「aspirinさん、すごいです!最高です!」


あすさんのあまり知られていない真実を聞いた明海は興奮し、しばらくアイバのようになった。


あすさん「さて…自分語りはこのくらいにして、ちゃんと授業を始めるとしよう」
明海「aspirinさん、すごいです!最高です!」

カレーライスとレアチーズケーキという安易な食事で腹を満たしたあすさんは
今度は睡魔に襲われるのかと思いきや、むしろ元気になった。
危なっかしい本能に導かれるままの欲望が目を覚ますわけでもなく、
自分に与えられた課題──明海の家庭教師の役割を果たすためである。


あすさん「さて、満腹になったことだし、そろそろ授業を始めようか」
明海「あ、その前に、ちょっと」
フレイザー「私は見習い調理師…」
あすさん「お?」
フレイザー「んー、やっぱり固くるしいのは駄目だなぁ。いらっしゃい!私はフレイザー。ここで料理を習っているんだ」
明海「紹介するね。これがトレイムスコイデの見習い調理師、フレイザー」
あすさん「…だからロフリオスじゃ……」
明海「アッー!」
フレイザー「女神を救出したって?うわ~すごいね~」
あすさん「…はぁ?」
明海「ゲラッゲラッ! あすさん、あたしと一緒にいるから女神タイトルに変わったみたい」
あすさん「頭上に名前やタイトルが見えるとでも言うのか……」
明海「内部的にあったりしてね」
あすさん「内部情報……」
フレイザー「あ~あ、何? 女神を救出したんじゃなくて、結婚したタイトルの見間違いかな」
明海「な…なに言ってんのよ! もう下がっていいわよ!」
フレイザー「僕かい?僕こそがイメンマハで一番の調理師だよ。まだ、一人前とは言えないけど…」
明海「帰れ! 半人前!」
フレイザー「別の話をするのは、駄目なの?」
明海「お黙り!!!」
あすさん「あーひゃっひゃっひゃっひゃっひゃ」


あすさんが結婚など夢のまた夢、妄想の妄想に過ぎない。
そもそも明海との年齢差が400年もあるので、まともに付き合うことなど不可能である。


ゴードン「いらっしゃい!お目当はなんだい?」
明海「あ、こっちが料理長のゴードン」
あすさん「ほう」
ゴードン「私はこのレストランの料理長ゴードンだ!」
あすさん「ふむ、気合が入っているな」
ゴードン「女神を救出しただと? ふん、大げさに話すことか! 冒険者たる者、そのくらいの度胸がなくてはな」
明海「まだ何も話してないでしょ? なに言ってんのよ」
ゴードン「私をみて料理しか能がないと言う人が居るが、それくらい一つの事に掛けられない人は一生
 何も成し遂げることができないんだ!」
あすさん「なに言ってるんだ? 料理の腕はグルアスのほうが上じゃないか」
明海「ねー」
ゴードン「フレイザー以外に、弟子を受け入れるつもりはないんだ」
あすさん「弟子入りするつもりもないんだが」
明海「ゲラゲラゲラゲラ……」
ゴードン「お腹が空いてるのか? じゃあ、何でも注文してくれ!」
あすさん「もう食ったよ…」


NPCとは話が通じない……。
彼らは用意されたテキストデータを読み上げるだけの存在である。
血の通った人間ではないのだ。


明海「こっちは、単なるメイドのシェーナ」
シェーナ「トレイムスコイデは、いえ、ロフリオスは、王国最高のレストランですよ!」
あすさん「かみまくりだな」
シェーナ「aspirinさん! レストランは初めてよね? いらっしゃいませ~!」
あすさん「ここのレストランは初めてだ。びっくりドンキーへはよく行ったことがある」
シェーナ「女神を助けたの? aspirinさんが!?うわぁ~、そんなことできる人が本当にいたんだ! すご~い!」
あすさん「………バグってるんじゃないのか?」
シェーナ「あら、今ワタシを口説いているのかな? イヤだわ、フフフ…」
あすさん「ぬるぽ」
シェーナ「ガッ」
あすさん「おい! いま反応しただろ?」
シェーナ「(まんざらでもないようだ…)」
あすさん「うーむ………釣られているのか…私は…」
明海「あはは…もういいかな? みんな下がっていいわよ」

フレイザーとゴードンは厨房へ、シェーナは床の掃除に戻っていった。
彼らはときおり何かをつぶやきながら、単調な作業を繰り返しているようである。


あすさん「さて、邪魔者はいなくなったことだし、授業を始めようか」
明海「待ってました!!!」

明海の新しい家に案内されたあすさん。
家の中を15分も歩く必要があるとは……
明海に引きずられて、ようやく部屋にたどり着いた。


明海「ジャーン! これがあたしの部屋です!」
あすさん「これは………」

部屋というより広場であった。

ウルラのゴーストタウン・イメンマハを模したデザインのようである。
部屋の中央には噴水があり、色とりどりの花に囲まれていた。
おそらく造花である。
部屋の周囲には湖があり、ここには本物の魚が泳いでいるのが見えた。

あすさん「……部屋なのか………」
明海「そうだよ。天井もあるし壁もちゃんとあるでしょ」
あすさん「ここが地上77階の部屋…」
明海「外を見てみる?」
あすさん「どれどれ……」

窓まで行くのに3分はかかる。
恐るべき広さの明海の部屋であった。

あすさん「高い……」
明海「いい眺めでしょ。ここからあすさんの家も見えたらいいのにな~」
あすさん「見えそうなくらい高い……」
明海「どんな家に住んでるのかなぁ」

ふと足元を見ると、

あすさん「うわっ! これはグリーンアロワナじゃないか!」
明海「うん。いろんな魚が泳いでるよ」
あすさん「しかもでかい……」
明海「マビにはいない魚だよね」
あすさん「うちにもいない……」
明海「あすさんちも魚いっぱい飼ってたよね」
あすさん「うちの比じゃない……」
明海「へへへ」

造花だと思っていた花も本物であり、珍しい植物が多数植えられている。
ナオやサキュバスの顔出し看板が置かれていて、演奏会場やレストランまである。

あすさんはこのまま明海の家に住んでもいいのではないかと思うようになった。
自宅よりも広くて快適だし、何の苦労もせずに生活できそうだからである。


あすさん「さ、さて、ここへ来たからには授業を始めないといけないな」
明海「おっおっおっ! あすさんの初授業ハジマル!」

しかし、この広大な部屋のどこで勉強をすればいいのだろうか。

あすさん「いやぁ…部屋が広すぎて落ち着かないな……」
明海「すぐ慣れるよ!」
あすさん「まずは明海の部屋をすみずみまで紹介してもらったほうが……」
明海「えーっ? すみずみまで紹介してたら何日もかかっちゃうよ~」
あすさん「………そうだろうな………」
明海「じゃあじゃあ、あっちで勉強しようよ」
あすさん「……(ぐぅぅぅぅ)」
明海「あらやだ…あすさん…」

あすさんの腹部から盛大に異音が発生した。
丸一日、何も食事をしていないからである。

あすさん「おなかがすいた……」
明海「あぁ、じゃあレストランいこっ!!」
あすさん「そうしよう…」
明海「その名もトレイムスコイデ!」
あすさん「……ロフリオスじゃなかったっけ…」
明海「あっ!!!間違えた~~~~~~」
あすさん「とりあえずそこへ……」
明海「もう少し歩くからね。頑張ってね、あすさん」
あすさん「うう……」


非常に快適だが、この家は唯一、移動だけが不便であるとあすさんは感じた。
しかし毎日、明海はこの部屋を出入りしているのだから、運動不足には縁がないのだろう。
不便だが、健康にはよさそうな生活環境である。


明海「はい、到着!」
あすさん「やっと飯にありつける……」
明海「好きなの注文していいよ」
あすさん「専属のシェフがいるのか」
明海「一人はまだ見習い料理人だけどね~」
あすさん「フレイザー……」

エリンでは無視されそうなNPCや要素をふんだんに盛り込んだ明海の部屋。
あまりのクオリティの高さに、圧倒されそうなあすさんであった。

あすさん「おいおい…メニューが少ないなぁ……」
明海「うん……ちょっとね……ロフリオスを再現しすぎちゃったかなぁ……」
あすさん「私が食べられそうなメニューは……」
明海「レアチーズケーキ、カレーライス……」
あすさん「じゃあ…カレーライスとデザートにレアチーズケーキを……」
明海「ごめんね~…だめなシェフばっかりで…」

食事も不便な家である……。

あすさん「カレーきたーーーーー!」
明海「きたきたきたーーーーーー!」
あすさん「すぐに出てきたってことは、作り置きしてあったのだろうか……」
明海「まさか……」
あすさん「もぐもぐ……」
明海「どう?」
あすさん「うまーーーーーー!」
明海「ほっ」
あすさん「レアチーズケーキももぐもぐ……」
明海「どれどれ……」
あすさん「うん、これもいいね!」
明海「うまーーーーーーー!」

赤黒クマから命がけで逃げ出したあすさんの体はもはやボロボロである。

クマの極太の腕から繰り出される強烈なスマッシュの直撃で受けたダメージと、
常識では考えられない速さで走ったことによる筋肉への負荷は甚大なものであり、
それ以前に女子高生たちとの対応で疲労の極限に達していたあすさんは
丸一日、眠り続けてしまった。


そして、次の日…


明海「あすさん……あたし、頑張って学校いくから……帰ってきたら目を覚ましてね……」

明海は小声であすさんに話しかけ、中身の詰まったカバンを抱えて部屋を出ていった。
あすさんは死んだようにベッドの上に横たわったままで、目を覚ますことはなかった。



正午が過ぎ、3時が過ぎ、しばらくすると…


ピンポーン。


インターホンの音が鳴った。
明海が経験したものと同じである。


ピンポーンピンポーン。


人の気配を感じさせずに鳴り続けるインターホン。


ピンポーン。


この不可解な音であすさんは意識を取り戻した。


あすさん「……ここは……っ! ……いてて……激痛が痛い……」

あすさんが痛みで泣きそうになると、インターホンの音は聞こえなくなった。
それと同時に、自分のいる環境の異変にすぐに気がついた。

その部屋には一切の生活用具がないのである。
窓はあってもカーテンがなく、壁紙はすべて取り去られた形跡があり、照明器具もない。
明海の部屋なら学習机やクローゼットくらいはあるはずなのに、それも見当たらない。


自分が横たわっているベッド以外、何もない部屋なのだ。
ところが床にノートパソコンが置かれていた。

あすさん「この部屋は…いったい……明海はどんな生活をしているんだ……?
 このパソコン……電源が入ったままだ……明海のものだろうか……」

パソコンを見てみると電源が入っており、デスクトップが画面に表示されていることがわかった。
画面中央には「あすさんへ」という名前のファイルが置かれている。

あすさん「これは何だろう………」

あすさんがトラックパッドを操作し、そのファイルをダブルクリックして開くと…

あたしのパソコン勝手に見たら怒るからね(#^ω^)ピキピキ

                          明海

あすさん「ああっ!!しまった…トラップか~~~~~~~!」

ガチャッ

あすさん「ぎゃあっっっ!!」


次の瞬間、背後のドアがガチャッと開いた。


明海「あー! あすさんが復活してる~~~~~~!!」
あすさん「や、やぁ……」
明海「あすさん復活だー! 復活だー!」
あすさん「ふ…復活だぁ~………」
明海「よかった……もう目を覚まさないのかと思った……」


ようやくまともな形で対面することになった明海とあすさんであるが、
初めがあまりにも非常識であったために、しばらく沈黙が続いた。


あすさん「…嬉しいのやら悲しいのやら…といった感じだね……」
明海「う、うん……。にこあ としか思えない……」
あすさん「にこあ……」
明海「このままあすさんが目を覚まさないのかと思うと……」
あすさん「大丈夫だよ……私は見てのとおり…生きている…」
明海「もし…あすさんが帰らぬ人になったら……原因はあたし……」
あすさん「……何度も殺さないで……」
明海「とにかく無事でよかった!」
あすさん「にこっ」

明海「あ、あすさん、あたし、今日は学校に行ってきたんだよ」
あすさん「そうか、それはよかった!」
明海「死んだあすさんの分まで頑張らなきゃ、って思ったの」
あすさん「また殺された~…」
明海「このまま家にいてくれたらいいのにな…」
あすさん「…あぁ…そうだ…帰りのこと…どうしたら…」
明海「帰ってほしくないなぁ~…」
あすさん「そういうわけにはいかないよ…」
明海「どうしたらここに残ってくれる?」
あすさん「ははは…そりゃ、ここで生活していけることが条件だよ」
明海「ふーむ……」


明海は考え込んでしまった。
あすさんにはその様子が冗談なのか本気なのかを判断できなかった。


あすさん「ところで明海、この部屋はいったい……」
明海「ん? あたしの部屋?」
あすさん「人が住んでいるとは思えない部屋なのだが……」
明海「実はこの部屋、というかこの家、取り壊すことになったの」
あすさん「…え?」
明海「この家がもともと相葉家の住んでいた家なんだけど──」
あすさん「ふむふむ」
明海「お父さんが錬金術の事業を一気に拡大させてからは、
 この家とは比べ物にならない巨大な家を建てて、そこに住むようになったの」
あすさん「ふむ。この家はずいぶん古いようだね」
明海「そうなの。耐震基準を満たしていないから、もう住むことはできないんだって」
あすさん「そうか。引越しをするわけか」
明海「うん。でもあすさんには、長年あたしが暮らしていた部屋を見てもらいたくて…」
あすさん「なるほど………」
明海「あすさん、新しい部屋に案内するね」
あすさん「いくお♪ てけてけ! あっつー……いててて……」
明海「大丈夫? 歩けない?」
あすさん「筋肉痛は、じわじわくる……」
明海「あたしにつかまって」
あすさん「申し訳ない……」
明海「いくお♪」
あすさん「てけてけ」


あすさんは明海に体を預けながら階段を下り、玄関を出た。

明海「あすさん……真冬なのに裸足で、しかもサンダルで来るとは思わなかったよ…」
あすさん「これが私の正装なんだ」
明海「aspirinさん、すごいです!最高です!」

路上を歩くこと数分。

あすさん「え……このローズタワーみたいな建物が?」
明海「うん。これがあたしの新居」
あすさん「……何人家族だっけ?」
明海「3人だよ」
あすさん「この建物の一室が、じゃなくて、建物全部で3人暮らしってことか?」
明海「そうだよ」
あすさん「そんなバカな………」
明海「あすさんを入れたら4人だね。ちょっと狭くなるかも…」
あすさん「いや、十分すぎる……」


3人で暮らす家としては桁外れの大きさである。
しかしあすさんは、実際に内部を見るまでは信用できなかった。


明海「この最上階にお母さんがいるから、今から会ってくれる?」
あすさん「最上階って何階だ……」
明海「77階だよ」
あすさん「……………」
明海「大丈夫だって! ちゃんとエレベーターついてるから!」
あすさん「これが本当に家といえるのか……」
明海「あ、あすさんって高いところ苦手?」
あすさん「いや……驚いているだけだ……」


エレベーターで77階へ向かうこと6分。
あすさんは明海の母と初めて会うことになる。


あすさん「77階を3人で割っても、1人あたり25階分のスペースだぞ……どうやって住むんだ…」
明海「そっか~。もうちょっと歩いてね」
あすさん「家の中でこんなに歩くことがあるなんて…」
明海「楽しいでしょ」
あすさん「いいえ、今は疲れるだけです……」
明海「にこっ」

明海「あ、お母さんだ」
あすさん「あ、あ~…えーと…」
明海の母「ようこそいらっしゃいました。明海の母です。どうぞよろしく」
あすさん「あ、どうも……このたび…明海さんの家庭教師…として……」
明海の母「あらあら。あすさん、無理をなさらないで」
あすさん「……といいますと……」
明海の母「無理に体裁を取り繕おうとなさらなくていいんですよ。あすさんは明海にできた初めてのお友達ですもの」
あすさん「は……」
明海「ばれちゃったか~」
明海の母「あすさんのことは明海からよく聞かされています。なんだか、まるで」
明海「お、お母さんっ!」
明海の母「…本当にわがままな娘ですけれど…よろしくお願いしますね」
あすさん「はあ…こちらこそ……」
明海の母「さっそくですが、これを」
あすさん「……?」

あすさんは明海の母から封筒を手渡された。
小さな封筒の中に書類の束がぎっしり詰まっているようであった。

あすさん「……これは?」
明海の母「ここまで来てくださったお礼と、気持ちです」
あすさん「……開けてもいいですか?」
明海の母「どうぞ」

あすさんが封筒を開けると、大量の一万円札が入っていた。

あすさん「ちょ…ちょっと……待ってください……これは……」
明海の母「今月分のお給料、300万円です」
あすさん「さ、さんびゃく……」
明海の母「それでどうか娘をお願いします」
あすさん「待ってください……ここへ来るまでの交通費の100倍じゃないですか……」
明海の母「足りないようでしたら……」
あすさん「い、いいえ! 逆に多すぎるのでは……いくらなんでも……」
明海の母「もしあすさんがお望みになるのでしたら、こちらにお泊りいただいてもかまいません」
あすさん「あの…っ! 本当のことを言いますと…私は家庭教師などではなくて……」
明海の母「いえいえ。身分など関係ないのです。わたくしも明海も、あすさんご自身を高く評価しています」
明海「そうだよ~、あすさん!」
明海の母「これからも娘をよろしくお願いします」
あすさん「……………」
明海「あすさん、そんなもんなんだよ。家庭教師に資格とか免許なんてないんだよ。あすさんの実力が問題なの」
あすさん「過大評価じゃないのか……」
明海「相応だよ」
明海の母「あすさんならすぐに慣れると思いますよ」
あすさん「慣れる……」
明海「何事も最初から上手くいくはずなんてない、って、あすさん言ってたよね」
あすさん「うーむ………」
明海の母「明海、あすさんのお話をよく聞くのよ」
明海「わかってる~」
あすさん「私のお話………」
明海「センセー、今日の授業はなんですか~?」
あすさん「……あすさん先生……」

樽帝院の町は、標高2000m級の山を開拓して作られた「人工の平地」にある。
もともと険しい山と広大な森林が延々と続く大自然にあったため、
そこに生息していたクマなどの野生動物が現れるのは当然といえる。


明海「っていっても、今は真冬よ? こんな時期にクマが出てくることなんてあるの?」
執事「ここは本来の標高が2000mを超える山地でございます。それを300mまで削って作られた平地なのです。
 明海さまのお父さまが錬金術を世の中にお広めになるために、わずか1ヶ月で工事を終わらせられました。
 ですが、そのあっという間の工事によって住む場所を失った野生動物たちが無数におります。
 また気候も大幅に変わり、真冬といえども以前よりはるかに温かくなりました」
明海「じゃあ、クマが出てくることもある……」
執事「さようでございます……aspirinさまが心配でなりません……今すぐ救助に向かわれますか…」
明海「戦車部隊を」
執事「っは……」
明海「冗談よ。さっきも言ったけど、これはあすさんをテストしているの。あたしが責任を持つからいいの」
執事「…………わかりました」




あすさんはコリブ渓谷を流れる川から清水を飲んで休憩していた。

あすさん「あんな大都市があったかと思うと、少し離れたら今度は大自然が広がっている。
 全体的に不自然な地形なんだよなぁ……山のようで、山ではない……」

あすさん「真冬だけど川には魚が泳いでいるし、食べられそうな木の実もあちこちにある。
 それと……蜂の巣が無数にあるようだ……ハチに襲われたりしないだろうか……」

さすがに採集したての蜂蜜をストレートで飲むことは厳しい。
マビノギではなぜか容器に入った状態の蜂蜜を採集することができるが、
実際には手がべとべとになってしまう。

あすさん「さてと、行くかぁ」

ここで眠ったら凍死してしまう──
まだ耐えられる寒さではあるが、眠ったらさすがのあすさんもアウトである。


あすさん「おお、あの東に見えるのがタルティーンの城壁だな。ここから約2kmといったところか」

ガサガサッ…

あすさん「な、なんだ?」

あすさんの10mほど先を動く黒い影に気がついた。
タルティーンの名物、赤黒クマである。

あすさん「クマ!!??赤黒クマか!?」
赤黒クマ「……グォッ…」
あすさん「そ、そうか……たしかにここには赤黒クマがいる……」
赤黒クマ「グォーッグォーッ…」
あすさん「ええと…これはタゲられてるのか……」
赤黒クマ「グゥァァッ!」

赤黒クマはあすさんに向かって一直線に突っ込んできた。
そして目の前で急停止した。

あすさん「………これは目前カウンターというやつだな!?」
赤黒クマ「グォーッグォーッ…グァーッ」
あすさん「ならばこれを食らえ! ウィンドミ…」
赤黒クマ「グゥァァッ!」
あすさん「ぎゃ~~~~~~~~」

スマッシュだった。
軽量なあすさんの体は15mも飛ばされ、茂みの中に落ちた。

あすさん「な、なんてパワーだ……私があと10kg重かったら、地面に叩きつけられて死んでいた……」
赤黒クマ「グォーッグォーッ……」
あすさん「話の通じる相手じゃないな……」
赤黒クマ「グォーッグォーッ!!」
あすさん「これを受け取れぃ!!」
赤黒クマ「グォッ!?」

あすさんが投げたのは、女子高生からもらった蜂蜜ドリンクであった。
しかしあすさんは投げるのが下手であるため、変な方向に飛んでいった。
小中学校のハンドボール投げでもフォームが悪く、飛距離が出ないばかりか、まっすぐに投げることすらできなかったのである。

あすさん「おおおおおい!!!蜂蜜ドリンクのほうを見てくれよ!!」
赤黒クマ「グォーッグォーッ!!」
あすさん「ええい! こっちだ! こっちを見ろ!!」
赤黒クマ「…グォーッ…グァーッ」
あすさん「おまえの好きな蜂蜜だ。これでも飲んどけ!」
赤黒クマ「グゥァァッ!!」
あすさん「味わって飲めよ! 先に行かせてもらうぜ!」

♪ε= ε=ヘ( ^ω^)ノ テケテケ


あすさんは2kmを3分で完走し、タルティーンの城壁と思わしきところまで到着した。

あすさん「…はーっはーっはー……スタミナが…そう…あるわけ…じゃ…ない…から………」

ところで、1500m走の世界記録は3分26秒である。
あすさんはそれをはるかに上回る速さで2000mを走り抜けたことになる。


あすさん「…はぁ…もう…これ以上は動けない…………すまない……明海……」

…と、電話でダイイングメッセージを告げようとした瞬間、


「お疲れさま」


あすさん「……あ……」

うつぶせに倒れたあすさんが、やっとの思いで頭を持ち上げてみると、そこには少女が立っていた。

明海「タルティーンへようこそ」
あすさん「あ……明海か……」
明海「予定より2時間も遅れてるわよ」
あすさん「こ……これでも急いだほうなんだ……」
明海「……ま、今日のところは休んでいいから」
あすさん「………そうだ……これからどうする…んだっけ…ぁ……」
明海「あすさんを運んで」
執事「ささ、aspirinさま、寝台でお眠りになってください」
あすさん「…なに…その…霊柩車………」
明海「家についたらあたしの横で爆睡すればいいわ」
あすさん「……………」
執事「……aspirinさま、お察しします……どうか今日のところはお休みください……」

(^p^)たるていいーんたるていいーん(^@^)おりぐちわみぎがわです
(^p^)おにもつのおわすれもののないよう(^@^)おたしかめください

2時間半の旅を終え、ようやく目的地・樽帝院に到着した。

あすさん「ぬうああああああっ!!ついたぞ~~~! やったぞ~~~~!」

新幹線から降りたあすさんはもう疲労の限界を超えるところであった。
手ぶらで来たため荷物はなく、忘れることはなかった。


あすさん「ふー……明海に連絡を……もしも~し」
明海「もーしもーし」
あすさん「もう、ぐったり……ただいま到着しましたよっと…」
明海「お疲れ~」
あすさん「で、ここから先の行き方は……」
明海「行き方ね~」
あすさん「こんな大都市、東京の修学旅行以来だよ。右も左もわからない…」
明海「高層ビルがいっぱい見える?」
あすさん「うちの近所にはないビルディングがたくさん見える」
明海「それね、相葉コーポレーションってお父さんの会社なの、全部」
あすさん「……は?」
明海「ん?」
あすさん「あ、あいばこーぽれーしょん?」
明海「うん。あすさん、なんか違うもの想像してない?」
あすさん「ずっと俺のターン……」
明海「だと思った」
あすさん「え? じゃあこの周りの建物が全部、明海の家みたいなものなの?」
明海「そうなるね~」
あすさん「どこに行けば……どこから入ればいいんだ……」
明海「看板をよく見てみて。見覚えのある何かがあるはず」
あすさん「どれどれ……これは……千円パズル…じゃなかった、王政錬金術師のシンボルか……」
明海「そそ。うちの会社のロゴね」
あすさん「至るところにロゴが…。この都市全体が明海の会社じゃないのか??」
明海「そうそう。マビと違って近代的だよね~」
あすさん「……すげぇ……」


すでに夜になっているのに、その大都市は昼間のように明るく照らし出されていた。
夜間、暗くなりすぎて見えにくいエリンとは大違いである。


明海「今夜は特別、あすさんが来るからライトアップしてるの」
あすさん「……それはありがたい……」
明海「迷子にならないようにね」
あすさん「そ、それで、どのように進んでいけば……?」
明海「ん~……教えない。あすさんなら1時間もあればあたしのところまで来れるよ」
あすさん「い…1時間!?無理を言うなああああああああああああ」
明海「ヒントはマビに全部あるから」
あすさん「こんな未来都市のどこがマビなんだ??リニアモーターカーでも走ってるんじゃないのか?」
明海「ふふふ…頑張って来てね。じゃ!」
あすさん「ちょおおおおおおお………っっっ……切られた……」


すでに迷子である。
あすさんが方向音痴であることは古くから知られている。

団地の中を歩いて幼稚園へ行くとき、道を1本間違えただけでどこへも行けなくなるし、
大人になってからマリオカートをやったとき、コースアウトすると方向感覚を失い、
逆走したり、道ではないところを走ったりしてしまうほどである。
地図が見えていたとしても、まともに方向感覚を維持することができないのだ。


あすさん「落ち着け……こんな寒い時期に路頭に迷ったら、確実に死…………ぬ」

明るい未来都市といっても屋外まで空調が整っているはずがないため、
凍える寒さにさらされ続けるあすさんである。

月によって方位を知ることはできたが、目的地がわからないので意味がない。
自分がどこにいるのかさえ把握できないのだ。



あすさん「マビにヒントがあるって言われても……どんなふうに考えたらいいんだろう……
 ミニマップなんてないし、肉眼でクエストの位置を見ることもできないんだぞ……
 見えるのは無機質のビルの壁、地面の石畳、まぶしい街路灯くらいのものだ……
 案内図を見ても、明海の居場所など書いてないし……旅行者ガイドなんてないし……」

30分ほど同じ場所をただウロウロするだけであった。
体が冷えてくるだけで、なんらヒントを得ることはできなかった。
疲れてベンチに座ろうとするが、なぜか座れない。

あすさん「……あ……この感じは……!」

あすさんは目的地や方角といった考えを捨て、ビルの立ち並ぶ様子に注目した。

あすさん「この町並み! なぜか座れないベンチ! ここはタルティーンじゃなく、タラのエンポリウムだ!
 絶対そうだ! そうに違いない!!きっとあっちに銀行があるはず!!」

あすさんは駅から北に向かって走った。
すると、巨大なアーチをくぐり抜けた先に銀行を発見したのである。

あすさん「きたーーーーーー!!!ここを西に進めば広場だな!!」

たしかに広場があった。
広場の中央の噴水がライトアップされ、エリンのものとは比較にならないほど美しく見える。

あすさん「よし。ここを北に進めば王城だ。明海は王城にいるのか!?
 ………いや……待てよ……そもそも錬金術師の家があるのは……タルティーンだ!
 じゃあ北西に進むとコリブ渓谷があって、その先に行けばいいのか!?」



いつの間にかあすさんは疲労を忘れ、マビノギ初心者がエリンを探索するかのように走り出した。



あすさん「おお……やはり間違いない! トーナメント会場が見えてきた! ……リリスがいるのだろうか…」

トーナメント会場に立ち寄ろうとしたあすさんだが、その入り口は固く閉ざされていて入ることができなかった。

あすさん「ムーンゲートがあるかもしれない! ちょっと寄り道していこう」

タラムーンゲートらしきオブジェが置かれていたが、ワープすることはできなかった。

あすさん「ふう……いよいよ見えてきた。コリブ渓谷……!」





一方そのころ……


執事「お嬢さま」
明海「なーに?」
執事「aspirinさまのご到着が、もう1時間も遅れておられるようでございます…」
明海「あー、あすさんは迷子になってるってさ」
執事「っは…! それは大変でございます…今すぐ捜索隊を……」
明海「だーめ!」
執事「しかし………」
明海「いい? これはテストなの。あすさんの実力を証明するためのテストなの」
執事「しかし………」
明海「いいの。本当に迷子になっていたら、あたしが自分で迎えにいくから!」
執事「あの、お嬢さま……」
明海「大丈夫だって~」
執事「最近、渓谷の周辺でクマが出るとのウワサが………」
明海「え…………

運転手「親子で毎晩マビノギ三昧ですよ~」
あすさん「そうなんですか」
運転手「妻にも勧めているんですがねぇ…機械に弱くて操作もおぼつかないんですわ」
あすさん「一緒にプレイできるといいですね(棒読み)」
運転手「そうだ! 息子にもサインをお願いできますか。口から泡を吹いて喜ぶと思います」
あすさん「(うわ、キモ)」
運転手「いや~よかったよかった! あ、お急ぎのところ申し訳ありませんでした」
あすさん「ではまた」


あすさんはバスを降り、駅の自動券売機で切符を買うところであった。
しかし、自動券売機の操作は意外にもわかりにくいものである。

あすさん「あの~…樽帝院までの電車は……」
受付のおばさん「はい、いったん乗り換えて新幹線をご利用いただくことになります」
あすさん「どのように行けばいいですか?」
受付のおばさん「こちらの路線図をご覧いただくとわかりま……あら?」
あすさん「な、なにか……?」
受付のおばさん「もしかして、aspirinさん?」
あすさん「な………」
受付のおばさん「キャハハッ! 娘が話してた人と同じだわ~」
あすさん「なんてこったい……」
受付のおばさん「あっ、笑っちゃってごめんなさい。こんばんは。あたしが誰か、わかるかな?」
あすさん「いいえ、わかりません………」
受付のおばさん「あれま!」
あすさん「急いでいるので……」
受付のおばさん「んま~~! こんな時間にaspirinさん一人で大丈夫かしら?」
あすさん「大丈夫じゃないから聞いてるんです」
受付のおばさん「キャハハ、またまた冗談キツいんだからぁ~! はいっ、ここが受付です!
 案内を希望される方は、授業と修行についてのキーワードで声をかけてくださいね~」
あすさん「しゅ…修行…?」
受付のおばさん「今度ティルコに寄ることがあったらラサに聞いてみてね♪」
あすさん「そんなことより……」
受付のおばさん「はいはい、新幹線の駅までの切符がこれ。それから~」

受付のおばさんまでもがマビノギにハマっており、NPCの口調で話しているのである。
あすさんは日本の将来が心配になってしまった。


受付のおばさん「サインまでもらえちゃって嬉しいわ! それじゃ、気をつけてね!」
あすさん「いってきます…」
受付のおばさん「サーバー違うけどよろしくね~!」
あすさん「へ~い……」

あすさんが電車に乗り込んだ瞬間、

女子高生「あーっ! aspirinさんだ!!」
あすさん「うわ…」
女子高生「うちらと同じ方面だったんだ~!」
あすさん「またタゲられた……」
女子高生「タゲられたとか言わないの!!」
女子高生「aspirinさん、どこに行くの~?」
あすさん「まずは三河安城まで…」
女子高生「なんだって!?」
女子高生「うちら、そこで降りるよ~」
あすさん「(このまま一緒かよ…)」
女子高生「どこに行くのか気になる~」
女子高生「誰かに会うの~?」
あすさん「(なんて鋭い勘をしてやがるんだ……)」
女子高生「あのaspirinさんがこんな近くに…! ヤバすぎるよね~」
女子高生「保護ポーションなしでハビット 幼いタヌキが一発で成功するのと同じくらいヤバい~」
あすさん「ハハ…本当に緊張しますね」
女子高生「エンチャントマスターまだぁ? チンチン」
女子高生「まだぁ? チンチン」
あすさん「ま、まだぁ……」

まだぁ?(・∀・ )っノシ凵 ⌒☆チンチン
まだぁ?(・∀・ )っノシ凵 ⌒☆チンチン
まだぁ?(・∀・ )っノシ凵 ⌒☆チンチン

降車駅はまだだろうか……。

あすさんは内心すごく嬉しいが、女子高生のテンションについていけそうになかった。


女子高生「あ! そうだ、aspirinさん」
あすさん「な、なに……」
女子高生「aspirinさんとツーショット撮ってもいい!?」
あすさん「ギャアアアアアアアアアア」
女子高生「はいっ、チーズ! パシャリ!」
女子高生「パシャリ!」
あすさん「あわわ………」
女子高生「やったあああああああああああああああああああああああああああ」
女子高生「きたきたきたあああああああああああああああああああああああああああああああ」
あすさん「少しでも役に立てなのならあたいもうれしい……」
女子高生「んーん! 少しどころじゃないって!」
女子高生「アレクシーナなんて比較にならないよ! あんなおばさん、すっげ~丈夫そうなだけで魅力ないし!」
あすさん「あの……くれぐれも顔は見せないように……ね」
女子高生「うんうん! モザイクかけとくよ~」
女子高生「aspirinさんって言わなきゃ誰もわからないよ~」
あすさん「ちょっと待て……なぜ誰かに見せる話になっているんだ……」
女子高生「え~? なんでぇ~? aspirinさんのことすごい自慢できるんだけどな~」
女子高生「だって、あの影世界の英雄、aspirinさんが目の前にいるんだよ? 奇跡でもありえないことだよ」
あすさん「影世界の英雄なんてG9クリアすれば誰でも取れるのに……」
女子高生「いいからいいから! 今度は3人で撮るよ~」
女子高生「aspirinさん、真ん中にきて!」
あすさん「両手に墓……」
女子高生「パシャリ!!」



こうして新幹線の乗り場である三河安城駅に到着した。
女子高生たちがわざわざ案内してくれたのである。

しかし、疲労はすでに極限に達しているあすさんであった。

女子高生「aspirinさん!!またね~!」
女子高生「今度マビで会ったら絶対に声かけるから~!」
あすさん「は~い……またね~…」

ようやく解放される…。

あすさんは新幹線の指定席に座り、少し眠ることにした。


しかし眠れない。

また誰かにタゲられるかもしれないからだ。

………


誰からも声をかけられることはなかった。


べっ、別に期待してたわけじゃないんだからねっ!




のどが渇いたあすさんは、女子高生から受け取った飲みかけの蜂蜜ドリンクに気がついた。

粗雑なラベルの貼られたその小さな容器の中には、黄褐色で粘性の高い液体が半分ほど入っている。
キャップは開封され、明らかに飲まれた形跡がある…。


あすさんは恐る恐るキャップを開け、容器に口をつけた。

(*´・ω・):;*.’:;ブッ

蜂蜜ドリンクというより、蜂蜜そのものであった。

樹齢400年といわれるあすさんが引きこもりになって150年。
ずっと家にいて、光合成のために庭を歩く以外はマビノギに夢中になる毎日。
それが今、明海にそそのかされて重い腰を上げ始めたのであった。


明海「あすさんの都合のいい日はいつ?」
あすさん「今すぐでも」
明海「( ゚∀℃( `Д´)マヂデスカ!?」
あすさん「善は急げっていうだろう」
明海「急がば回れじゃないの?」
あすさん「では後日にしよう」
明海「ちょおあsだkldksldかfj;だsdj;うそうそ;;今すぐでいいの?」
あすさん「そっちに問題がなければ」
明海「( ・∀・)b OK! それじゃあ悪いけど、片道の運賃だけは用意してね!」
あすさん「これがもし冗談だとしたら、片道切符か…………」
明海「そんなこと絶対に(ヾノ・∀・`)ナイナイ」
あすさん「行くお♪ε= ε=ヘ( ^ω^)ノ テケテケ」
明海「バッチコ━━━щ(゚Д゚щ)━━━ィ」



冬の昼は短い。
あすさんが家を出ると周囲はすでに真っ暗であった。

冷え性の手をさすりながらバス停に向かう間、時計と夜空の様子をずっと気にしていた。
この見慣れた空の下へ無事に戻ってくることができるのだろうか──


バスは時間通りにやってきた。
いつものことながら、バスには誰一人として乗車していない。
運転手さえも。
といいたいところだが、この時代にはまだ全自動のバスは存在していなかった。


女子高生「でさーでさー、それが超ブサメンなんだって~」
女子高生「まじで~? ちょいググってみよっかな~」
女子高生「美人すぎる○○とか、イケメン○○とか、フッザケんじゃねー!!真面目にやれ!!って感じだけど」
女子高生「うわ、キモ。これなら早退職員のほうが100倍マシだわ」

無人のバスでどうして女子高生の話し声が聞こえるのか不思議だが、
ただあすさんが後ろのほうの座席に気づかなかっただけというのが有力な説である。

あすさん「(やれやれ……もし私が明海の言うようにイケメンだとしたら、ブサメンはこの世に存在しないだろう……)」

女子高生「んでさ~、プリクラの顔を思いっきり加工してみたわけよ」
女子高生「うっわ~キモーイ! でもキモイけど見入ってしまう~~」
女子高生「キモイもの見たさってあるよね~」
女子高生「誰得」
女子高生「きんもーーーっ」
あすさん「(そんなにキモイキモイ言わなくてもいいのに……っと…やばい…目が合った……)」

あわてて前を向いて座り直すあすさん。

女子高生「……」
女子高生「どした?」
女子高生「なんか今……」
女子高生「ん? なんか見えたの?」
女子高生「いや……ひょっとしてひょっとするとなんだけど……」
あすさん「(ひぃー……例外なくキモイキモイ言われる……)」

あすさんは走行中のバスの窓を開けて外に逃げ出したくなった。
後続の車と対向車にはねられ、体は原形をとどめぬほどに飛び散るであろう。

女子高生「(……ちょっと試してみるよ)」
女子高生「(え? なにすんの?)」
女子高生「(いいからいいから。…よし…)」

女子高生が携帯電話をあすさんのほうに向けると、


「デデーン!」

エンチャント失敗の効果音が鳴り響いた。


あすさん「この音は!!」
女子高生「プゲラゲラゲラ…」
女子高生「誰!?」
女子高生「aspirinさん、すごいです!最高です!」
女子高生「マジで?」
女子高生「あ!aspirinさん、お会いできて嬉しいです~!」
あすさん「ど、どうも……」
女子高生「なんだってえええええええ!」
あすさん「いきなり背後でデデーンって……」
女子高生「この音に反応するのはaspirinさんしかいない!」
女子高生「すげええええええええええええええ」
女子高生「aspirinさん!!サインください!!」
あすさん「いきなりクレクレですか……」
女子高生「サイン二つお願いします」
女子高生「もう制服でもカバンでも好きなところに書いちゃってください!」
あすさん「いや…それは普通にヤバい……」
女子高生「ギャハハハハハハハハハハハハ」
あすさん「じゃあ、このノートの…」
女子高生「うんうん」
あすさん「余白にでも」
女子高生「表紙に書いちゃってくださいよ~」
あすさん「そうですか、カキカキ……」
女子高生「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
あすさん「こちらにも、カキカキ……」
女子高生「きたああああああああああああああああああああああああああああああ」
あすさん「下手な文字で悪いけど…」
女子高生「おらっしゃああああああああああああああああああああああああああああああああ」
女子高生「あざーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっす!!!!!」

あすさん「驚いた……こんなところでマビノギやってる人と会うなんて……」
女子高生「こんな時間にどこへ行くんですか?」
あすさん「急用で………」
女子高生「あっ……どこか具合が悪いんですか…」
あすさん「私じゃなくて……」
女子高生「なんか道が渋滞してますね。まだだいぶかかりそう…」
あすさん「本当は急いでいるわけではないのですがね……」
女子高生「駅までですか?」
あすさん「いや、うんと遠くまで」
女子高生「ええ!!aspirinさんが自力で遠出するなんて………」
女子高生「天変地異の前触れじゃない!?」
女子高生「どうしよう………」
あすさん「あの…………」
女子高生「aspirinさん…うちらはついていけませんけど……どうかご無事で…」
女子高生「これ、ゴクッと飲んじゃって! 飲みかけの蜂蜜ドリンクだけど…」
あすさん「あ、ああ、ありがとう……」


あすさんは女子高生に励まされたが、かえって困惑した様子であった。
飲みかけの蜂蜜ドリンクに手をつけるなど……。


渋滞のため、バスは少し遅れて駅のターミナルに到着した。

女子高生「それじゃ、aspirinさん、これからも応援してます!!」
女子高生「ハァンタジーライフの更新が楽しみです!」
あすさん「応援をどうもありがとう」
女子高生「またね~!」
女子高生「おやすみなさ~い!」
あすさん「(……ブログはしばらく更新できなくなる恐れがある……)」

あすさんがバスの降り口で料金を支払った瞬間、

運転手「aspirinさん、すごいです!最高です!」
あすさん「ええぇ!?」
運転手「すみませんが、私にもサインをお願いできますでしょうか……」
あすさん「はあ……」

あすさんは大きな選択を迫られた。

明海の将来を決めることであるとともに、自分の立場を大きく動かされる問題に直面してしまった。
単なる釣りかもしれない。
実際に会ってみるまではわからない。
もはやお手上げである。


あすさん「住んでいる地域によるぞ…」
明海「樽帝院駅からすぐだよ」
あすさん「知らない地名だ……」
明海「新幹線で直行できるよ」
あすさん「ずいぶん遠いな……」
明海「大丈夫大丈夫! 来てくれたらあたしが全額負担するんだから」
あすさん「………負担してくれなかったらどうする…」
明海「信用できない?」
あすさん「さすがに…これは……」
明海「分割金利・手数料は明海が負担!!!!!」
あすさん「金額の問題ではなくて……」
明海「わかった。自分の家から離れるのが心配なのねwwwwww」
あすさん「∑(゚∇゚|||)はぁうっ!」


明海のほうが一枚上手──
そう考えてみると、むしろあすさんのほうが明海に妙な期待感を抱いてしまうようである。

引きこもりになって百余年。
自分の重い腰を持ち上げる機会になるかもしれない…と思うと、明海の提案からは引き下がることができなかった。


明海「(´・△・`)アーア…影世界の英雄、aspirinさんに会えると思ったのになぁ(´・ω・`)ガッカリ・・・」
あすさん「そんなタイトルはどうでもいい…」
明海「イケメンのあすさんを一目見たかったなぁ(´・ω:;.:...」
あすさん「(°д ゚)ハァ?」
明海「きっとピンクの衣装をかっこよく着こなしてるんだろうなぁ(´・ω:;.:...」
あすさん「なんという妄想……」
明海「(/ω・\)チラ」
あすさん「(´∩ω∩`)」
明海「モォ─ヽ[*`Д゚]ノ─!!!あすさん来てよ~~~~~《゚Д゚》ゴラァァァァァァァァァァァァア!!」
あすさん「●:・∵;(ノД`)ノ ヒイィィィ」
明海「あすさん! あたしだってあすさんの将来を心配してるんだからね!!」
あすさん「( ´゚д゚`)ぇーーー」
明海「あたしの誘いに乗らなかったら、次はいつチャンスがあるかわからないよ?」
あすさん「(´゚д゚`)」
明海「いいじゃない! あたしも救われるし、あすさんも救われるんだよ!?」
あすさん「(。-`ω´-)ンー…別に私は困っていないけど…」
明海「今はいいかもしれないけど、将来はどうするの?」
あすさん「私に将来などないのだよ」
明海「それじゃああたしの将来もないのと同じじゃない…そのくらいわかってよ…」
あすさん「ゥ─σ(・´ω・`*)─ン…」
明海「あすさんの協力が必要なの。あたしがあすさんを必要としていることくらいわかってるでしょ?」
あすさん「( ゚ω゚)フム」
明海「ほかの人は100%否定するだろう、って言ったじゃない。それなのにあすさんはあたしを見捨てる気? 無責任すぎるよ…」
あすさん「(;゜〇゜)……」
明海「あすさんが信じてくれなかったら、誰があたしを信じてくれるの……」
あすさん「なるほど……」
明海「(´・ ω ・)……」
あすさん「…………わかった」
明海「( ゚Д゚)ハッ!」
あすさん「ご両親は何と言っているのかね?」
明海「もうお金用意して待ってる」
あすさん「何━━━━ヽ(゚Д゚ )ノ━━━━!!!!」
明海「お母さんには、あすさんのこと家庭教師だって伝えといた」
あすさん「ちょ、ちょっと待て!!!!!この話はどこまで飛躍していくんだ!?!?!?」

明海は、あすさんに対して期待しすぎることはなかった。
あすさんはあくまで「助言を与える機械」にすぎず、問題を解決するのは機械ではなく自分だ、と思っているからだ。
この冷淡すぎるほどの合理的な思考により、明海はすぐに立ち直ることができるのである。


明海「高校進学していないあすさんには、やっぱり難しいのかな…」
あすさん「難しいもなにも、高校という時点でお手上げだよ。私の守備範囲を完全に超えている」
明海「ゥ─σ(・´ω・`*)─ン…」
あすさん「明海が自分の力でどうにかできるのが一番いい」
明海「(。-`ω´-)ンー」
あすさん「私が解決したらおかしいじゃないか」
明海「それもそうだね……なんで他人が……って……」
あすさん「しばらく考えてみるかね?」
明海「……待って……」
あすさん「あわてることはない」
明海「待って、あたしには無理……今のままで学校に行けるとは思えない……」
あすさん「そのことも含めて、しばらく考えてみるといい」
明海「あすさんも考えて」
あすさん「∩(・∀・)∩ モウ オテアゲダネ」
明海「真面目に考えて」
あすさん「真面目に考えたら∩(・∀・)∩ モウ オテアゲダネ」
明海「最後まで面倒みてよ……」
あすさん「( ゚д゚ )」
明海「本気のあすさんを見せてよ」
あすさん「Σ(;´△`)エッ!?」
明海「いつも手を抜いてるでしょ…」
あすさん「Σ(゚Д゚;エーッ!」
明海「…わかるよ、とぼけても」
あすさん「Σ(゚д゚) エッ!? オヨビデナイ!?」

明海「あすさんはいつも1%の力しか発揮してくれない…」
あすさん「(ヾノ・∀・`)ナイナイ」
明海「本当はあと99%の力が眠ってる……」
あすさん「ネ━━━━(゚д゚;)━━━━!!」
明海「あたしってそんなものだったのね」
あすさん「いやいや…明海の高校生活に関しては、私はこれ以上は何もしてあげられないぞ?」
明海「…………………」
あすさん「助けてやりたいよ。でも、どうやって? まさか一緒に登校しろと?」
明海「そんなの無理に決まってる…」
あすさん「仮にそんなことを実行したとしても、明海を助けていることにはならないはずだ」
明海「でも! あすさんなら! 何とかしてくれると思うじゃない!」
あすさん「違う。何とかするのは明海自身だ。私はただアドバイスやヒントを与えることしかできない」
明海「あたしにはぜんぜん足りないのよ」
あすさん「……それを私が満たしてやることは不可能だよ…残念だけど…」
明海「あすさんにはできない?」
あすさん「できない」
明海「…………………」

あすさん「私にできるのなら、とっくに何とかしているよ。間違いなく」
明海「……どうしてそんなにバカ正直なの……」
あすさん「真面目に考えるからこうなるのだよ」
明海「真面目…………」
あすさん「私も経験上、真面目に考えるだけでは行き詰るということを知っている。
 不真面目に考えたとしても、すぐに答えが見つかるわけでもないということも…」
明海「それはあすさんの1%の力ではないのね?」
あすさん「100%でこの程度だ。これ以上の力を出すには、別のものが必要になる」
明海「別のもの?」
あすさん「私以外の力だ」
明海「どんなもの?」
あすさん「私以外の力だったら何でもいい」
明海「あたしの力でもいい?」
あすさん「もちろん」

明海「じゃあ、こういうのはどう?」
あすさん「( ゚ω゚)フム?」
明海「今からあたしのところへ来て」
あすさん「(´゚д゚`)」
明海「来れる?」
あすさん「(´゚д゚`)」
明海「あたしの力で来てって言えば来てくれる?」
あすさん「本気で言っているのか? 本気だとしても…」
明海「無理? なぜ? お金がないから?」
あすさん「…………そのとおり…………」
明海「あすさんの力では無理ってことでしょ? でもあたしの力を使ったらどうなの?」
あすさん「どうするつもりだ……」
明海「あたしが運賃を出す。といっても親に頼むんだけど」
あすさん「待て……悪循環だ……」
明海「信じてもらえないかもしれないけど、あたしんち金持ちなの。あすさん一人を呼ぶのに困ることなんてないの」
あすさん「(;・`д・´)な、なんだってー!!(`・д´・(`・д´・;)」
明海「あたしはあすさんを信じてるよ」
あすさん「 ゚д゚ 」

あすさんは信用できる。
信用できるだけの何かがある。
その正体はわからないけれど、信じてよいという確信がある──

明海はそう思ってあすさんを信用し、学校で味わった苦痛を打ち明けた。




あすさん「それは…苦痛だ…」
明海「気にしないつもりでいたのに、もう学校へ行けなくなって……」
あすさん「明海が悪いわけじゃない。トイレに紙がなかったのが悪いんだ」
明海「先生にさらし者にされるなんて……あたしはもう一生バカにされる…」
あすさん「次の日から、自分の意思で学校を休むようになったわけだね?」
明海「どうだったか…わからない…体が…本能的に避けている…」
あすさん「ヽ(・ω・`)ヨシヨシ…明海の判断は正しい。それでよかった」
明海「でも………」
あすさん「今、こうして打ち明けるまでは、誰にも相談できなかったんだよね?」
明海「相談できる人なんているわけないじゃない…」
あすさん「そうか。だから明海の判断は正しかったといえる。後悔しなくてもいい」
明海「なぜ? そんなふうに言われても……」
あすさん「明海は人に相談しなかったのではなくて、することができなかったんだ。
 そのような状況で正しい判断を下すことは不可能に近い。
 だから今は、その判断が正しいのか間違いなのかを考える必要はないんだ」
明海「そっか……」
あすさん「誰かに相談したら、100%間違っていると言われるだろう」
明海「絶対そう言われるのに……あすさんは言わないの?」
あすさん「言わない。言っても意味がない。明海のためにならないからだ」
明海「あたしのため……」
あすさん「学校へ行けなくなったのは、行けばそこにいる人たちから否定されることがわかっているからだろう」
明海「うん………」
あすさん「そんなところへ行ったら、明海はますます苦境に追いやられることになってしまう」
明海「……………」
あすさん「私は、学校が間違っているとか、学校へ行ってはいけないと言っているのではない。
 今の明海にとっては、学校へ行くことが非常に危険であるということを言いたいのだ。
 だから、明海の判断は正しい。決して間違ってなどいないから、安心してほしい」
明海「あすさん……」
あすさん「むしろ私が、平日なのに明海がマビにいるということを疑問に思わなかったのがいけなかった」
明海「あすさん…そんな…もういいよ。それ以上言わないで。あすさんが悪いことになっちゃう…」
あすさん「ヽ(・ω・`)ヨシヨシ」
明海「どうしたらいいんだろう………」

ようやく落ち着きを取り戻した明海は、今後の自分の振舞いについて考えることにした。


明海「あすさんは、あたしのこんな話に付き合っていて大丈夫なの?」
あすさん「大丈夫、とは?」
明海「あすさんだってやることはあるでしょ。こんな余裕があるの?」
あすさん「やることがあるもなにも、これが私の仕事だからね」
明海「Σ(;´△`)エッ!?」
あすさん「あぁ、当然のことをしているだけだよ」
明海「あすさんの仕事?」
あすさん「そう。仕事みたいなものでしょ」
明海「ふーん……」

あすさん「明海は友達はいるのかな?」
明海「リアルで? マビで?」
あすさん「できればリアルで」
明海「あ……えっと……あたしの友達は……」
あすさん「(゚Д゚;∬アワワ・・・」
明海「;;;;;;;;;;;;;;;;;;」
あすさん「( ゚ω゚)フム……じゃあ質問を変えよう。明海はどんな学校に通っているのかな?」
明海「えーと……笑わないでね……」
あすさん「笑わないよ( ^ω^)」
明海「顔文字が笑ってる……」
あすさん「失礼……」
明海「あたし、役者を目指してるんだ」
あすさん「初耳だ…………」
明海「……意外だった?」
あすさん「すごく意外に思う……てっきり錬金術師の家を継ぐものかと……」
明海「まぁ、それでもいいんだけど……あたしは役者になりたいの」
あすさん「それ、何だろう?僕も知りたいです! 声優とか?」
明海「それもあるし、もっとドラマとか映画とかで活躍したいな~」
あすさん「(ノ゚ο゚)ノ オオオオォォォォォォ-(●'д')bファイトです」
明海「┏O)) アザ━━━━━━━ス!」
あすさん「アイバの声を担当する可能性もあるわけだね( ^∀^)ゲラゲラ」
明海「実写版マビで主役を演じてみせるわ( ^Д^)ゲラゲラ」

あすさん「( ゚ω゚)フム それで養成学校みたいなところに通っている、と?」
明海「(o´・ω・)´-ω-)ウンそうだよ」
あすさん「よくわからないけど…そういう学校だと友達関係が難しくなるものなのかな…」
明海「そうみたい……みんながみんな役者になれるわけじゃないもの…」
あすさん「弱肉強食の世界か……」
明海「でも頑張るよ……といっても……学校……どうしよう……」
あすさん「そうだな。どうにか登校できるようにしなければ、役者の道は閉ざされてしまうかもしれないからな…」
明海「どうすれば………」

明海「はぁ……。なんだろ……なんかマビをやるのも面倒になってる気がする……」

学校であったこと、原因不明の寒気と恐怖感、マビノギのメンテナンス──
さまざまな要因が重なり合い、しだいにやる気を失っていく明海であった。


明海「ゲームにすら退屈するあたしって…もう末期なんじゃないかな…」

マビノギとは、不思議な世界で冒険または生活をするMMORPGのことであり、
その舞台は壮大なファンタジーを描いたものであるとされ、
一生無料でプレイすることができ、ほのぼの系であるといわれている。

そのゲームで明海がしていることといえば、アイバの錬金術師の家アルバイトくらいで、
アルバイトの合間にはあすさんとチャットをするだけであった。


明海「あ~つまんない~! あすさんも退屈だし! もっと楽しいことはないのかな…」

つまらない、退屈だ、と言いながらもマビノギしか居場所のない明海である。
仕方なくログインすることにした。


あすさん「(^ω^ ≡ ^ω^)おっおっおっ」
明海「('A`)」
あすさん「Σ(`∀´ノ)ノ アウッ」
明海「もうマビやめるかも…」
あすさん「Σ(;´△`)エッ!?( ;´Д`)いやぁぁぁぁぁー!」
明海「だって…つまらないんだもん…」
あすさん「何かを詰めればいいのかな…」
明海「もう! あすさんのギャグもつまんないのよ!」
あすさん「ウワァァ。゚(゚´Д`゚)゚。」
明海「むかつく」
あすさん「(´;ω;`)ウッ…機嫌が悪いね……」
明海「別に…あすさんに対してじゃないよ…」
あすさん「何かあったのかな…(´・ω・`)」
明海「('A`)モウー」
あすさん「言いたくなければ、深入りはしないけど」
明海「………………」
あすさん「マビをやめる前に、理由だけ知っておきたくて」
明海「ま、まだやめると決めたわけじゃないよ!」
あすさん「あまり無理をしないほうがいいよ…」
明海「そんなんじゃないの。ただ………」
あすさん「あすさんなんて(゚⊿゚)イラネヽ( ・∀・)ノ┌┛ガッΣ(ノ`Д´)ノ(っ・д・)三⊃)゚3゚)'∴:. ガッってことか…」
明海「違う! さっきはちょっとキレてただけ。あすさんは関係ない」
あすさん「( ゚ω゚)フム」

ほのぼの系でありながら、時としてチャットは白熱する場合がある。
空気を読めないあすさんのギャグや、自虐的なジョークなどは日常茶飯事であった。

あすさんは多くの人の反感を買いやすい性格である一方で、
人の悩みを聞き出し、問題を解決へと導く能力にも長けている。
前者はどうしようもないバカであるが、後者はいわゆる「真面目あすぴん」と呼ばれるもので、
「普通にかっこいい」と思われる場合があり、好評を博しているという。

ほとんど勘違いであるが。



明海「あすさん、実は…」
あすさん「(゚∀゚)ナニ?」
明海「真面目に聞いてくれますか?」
あすさん「真面目に0),,゚Д゚)」
明海「……それって真面目なの?;;」
あすさん「(o´・ω・)´-ω-)ウン」
明海「('A`)…」

メンテナンス。


それはプレイヤーにとって暇な時間である。
ネクソンがどうであるかは誰にもわからない。


定期臨時メンテナンスは1時間の予定だが、とても長く感じられるものだ。

明海とて例外ではなかった。


明海「暇だ~~…。どうしよう。課題でもやるかぁ……」


学生はメンテナンスの時間を、宿題やレポートの作成に費やしたり、
自分の趣味で楽しんだり、他のオンラインゲームで遊んだりするものである。

大半の人が「現実」と向き合うための大切な時間、
「現実」を再認識するための貴重な機会、と考えることもできる。


明海「……う……なんだろう……寒い……気分が悪い………」

ノートを開いた瞬間、明海は原因不明の寒気に見舞われる。


明海「…なんで……寒い……寒くて体が…震える………」

寒さに震えながら、明海はまたベッドにもぐり込んでしまった。



すると…





ピンポーン。




インターホンの鳴る音が聞こえた。

半分眠っているような状態であるのに、その音だけが鮮明に聞こえた。


明海「(誰……誰なの……来ないで……この前に来たのも…誰……?)」


明海は気分の悪さと同時に、恐怖も感じずにはいられなかった。

まるで自分の眠るタイミングに合わせるかのように鳴らされるインターホン。

そこに、誰がいるのか……。



ピンポーン。



明海「(…いや…やめて……もう…吐きそう…………)」


ピンポーン。


明海「(…やめて…来ないで……ああ…やだ……怖い………!)」


ピンポーンピンポーンピンポーン。


明海「(悪霊退散…悪霊退散…悪霊…㌶㌍㌫㌻㍗㌫㍊㍍㌘㌶㌍㌫㌻㍍㍗㌘㌶㌍㌫㌻㍍……)」





明海「っは!」




どのくらいの時間が過ぎたのか。

明海は自分が何をしていたのかさえ覚えていない。

ただ気づいたら、何事もない状態になっていたのだ。



明海「…………夢?」

なんとなく視線を向けると、電源が入ったままのノートパソコンの画面が目に留まった。


明海「あ…そうだ……メンテだったんだ……もう、終わってるかな………。
 あ、でも、その前に課題………いや、いいや。先にマビやろう!」



メンテナンスはすでに終わっており、本来、学校から帰宅するのと同じ時刻になっていた。



明海「はあ………なんか、ぜんぜん意味なかったなぁ………」

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