マナビノギ

マビノギハァンタジーライフ

一晩中、マビノギの話題で過ごしてしまう明海と凛。

あすさんは床に大の字になって永眠している。



凛「へぇ~! 街灯を叩けば叩くほど釘や金貨が出てくるのかぁ~」
明海「おかしな話でしょ~? 小さい玉はインプが隠したとかいうけど、本当は錬金術なのよね」
凛「釘が手に刺さることはないのかな?」
明海「それもあるよね。でもあたしは刺さったことない。あすさんは手が血まみれになったと言ってたけど…」
凛「…恐ろしいゲームだね…」
明海「初めはお金がなかったから、街灯を叩きまくって財布いっぱいの金貨を稼いだよ」
凛「ああ……それで手を怪我してしまたんだね……」
明海「違うって! あすさんみたいなボケ方しないでほしいわ」
凛「ごめんごめん。でも本当に面白そうだなあ。……あ、あすさんをそろそろ起こそうか?」
明海「あすさんは安らかに眠ってるよ」
凛「じゃあ…このまま寝かせてあげようか…」
明海「二度と目覚めることのない眠りについてるのよ」
凛「ええ!?それは大変だーーーーーーー」


凛は驚きのあまり大声を上げた。


あすさん「……なんですか、そうぞうしい……」
明海「うわ! 起きたー」
凛「ひいいいいいいいいいいゾンビーーーーーーーー」

あすさんは冷たくなった体をゆっくりと起こし、再び温かくなった。

やがて回診の時間となり、白衣を着た医師と看護士2人が病室へやってきた。


看護士「回診の時間でーす」
凛「あ、もうそんな時間か……」
医師「元気そうですね」
明海「えーと……まだ手の感覚がないんですけど」
医師「まだ傷がふさがっていないと思うので、動かさないようにしてください」
看護士「携帯でゲームですかー?」
凛「あはは。ゲームだなんて。とんでもない…。僕たちがやっているのは──」
明海「あぁもう! それは言わなくていいのよ、それは!」
医師「どんなゲームですか?」
凛「冒険がある! 生活がある! ほのぼの系無料オンラインRPG」
医師「ぶっ!」
看護士「マビやってるんですかー!?」
明海「うえええ……」


目をきらきらと輝かせる看護士と医師におびえる明海であった。


医師「ははは…まあ、ゆっくりとお話したいのは山々なのですが、他の患者さんも回らないといけないので…」
明海「はい、いいです、どうぞ、行ってください!」
看護士「お大事にー」
医師「………と、サーバーはどこですか? ぼそぼそ…」
凛「タルラークです」
明海「ちょ……」
医師「残念、違いましたね……。ではまた」



その様子を笑いをこらえながら見ているあすさん。

いろいろツッコミを入れたかったが我慢していた。

いつでも、どこでも、気が狂ったように“ファンタジーライフ”を経験するあすさんと明海。
それはファンタジーとは別次元であることは明らかであった。

その二人が新たな犠牲者を出そうとしているのである。


凛は笑いを必死にこらえながらスマートフォンを操作し、その有害なゲームを検索した。


凛「……あれ? 話とは違うものが出てきたよ…?」
明海「それがマビの現実なのよ」
凛「…マ…ナ…マナビノギ…?」
明海「わーっ! だめ!!それは見ちゃだめ!!」
凛「えっ……」



明海は凛の手を取り押さえようとするが、すでに遅かった。



凛「こ、これは…!」
明海「あああああ……」
凛「……………」
明海「なんてこと…見てしまったのね…」
凛「冒険がある! 生活がある! ほのぼの系無料オンラインRPG」
明海「あああ……」
凛「無料で遊べるほのぼのオンラインRPG マビノギ」
明海「…………」
凛「……………なるほど」
明海「ど、どうかしら…?」
凛「オンラインRPGなんだね」
明海「ちょ! 気づくところがおかしいよ???オンラインなのは当たり前でしょ??」
凛「へえ~~」
明海「へえ~~って……おいおい……」


スマートフォンを使いこなす凛が“オンラインゲーム”の存在を知らなかったことに驚く明海であった

凛はそれまで三角形だった目を丸くさせて、あすさんと明海の壮絶な“ファンタジーライフ”の話に聞き入った。

やがて凛の警戒は解かれ、ほのぼのとした雰囲気に包まれるようになった。


凛「あすさん、すごいです!最高です!」
明海「ちょっ…だーかーらー! そういう話じゃないの、わかる!?」
あすさん「( ゚д゚ )」
凛「あすさんもすごいけど、二人がそこまで必死に…いや、熱中するゲームもすごいと思う」
明海「な……なんか引っかかる言い方ね…」
あすさん「事実でしょう」
凛「そうでしょう」
明海「うう……否定できないところが悲しいわ……」


あすさんと明海が必死であることは誰の目にも明らかなのであった。


凛「さっそく、どんなゲームか調べてみるよ」
あすさん「病院内では携帯電話の電源をお切りください」
凛「スマートフォンだから大丈夫です」
あすさん「……そうなの?」
明海「さ、さあ…?」
凛「この病室、無線LANがきてるよ。ここで直接、ネットにつなげられるよ」
あすさん「そのままマビもやればいいのに」
明海「ほんとに」
凛「今度、ネットブックを持ち込んでみようかな」
あすさん「今すぐだ」
明海「そうだ」
凛「( ゚д゚ )」


もはや依存症を通り過ぎ中毒に陥っている二人と、すでに侵され始めている凛であった。

凛は少し考えてから、あすさんを見上げて恐る恐る話しかけた。


凛「あの…あすさんというのは…」
あすさん「σ(゚∀゚)オレオレ」

あすさんは口頭で顔文字を話す。

明海の母「あすさんはアセチリサ…サルファー…酸? で、明海の家庭教師なのよ」
あすさん「( ゚д゚ )」
明海「お母さん、アセチルサリチル酸だよ。しっかりしてよ」
あすさん「よくできました」
凛「…アスピリン…?」
明海「そうそう。だからあすさんなんだよ」
凛「解熱鎮痛剤だったよね」
明海「いやいや! むしろ発熱激痛剤だよ!」
凛「ははは!!本当にそうみたいだね」
明海「ちょっと! そこ! 笑うところじゃないんだってば!」


凛は明海と2メートル近い身長差のあるあすさんを見上げて微笑んだ。


凛「そろそろ戻ろうか。立ち話もなんだから」
明海「さっさと帰ろう」
明海の母「ちょっとラウンジに行ってくるわね」
執事「ちょっと便所のトイレへ……」
明海「はーい」
あすさん「ラウンジ…」
明海「シールドじゃないんだからね?」
あすさん「( ゚д゚ )」
凛「……ぷぷ」


あすさんは手を触れず、凛が明海の車椅子を一人で押して病室まで行った。


凛「久しぶりに笑った気がするよ」
明海「いつも笑ってるじゃない?」
凛「作り笑顔……なんだ…」
明海「そうなの? そうは見えないけど?」
あすさん「( ゚д゚ )」
明海「あすさん、顔文字は邪魔だから…」
凛「くくく……顔文字が面白いよ」
あすさん「( ゚д゚ )」
明海「もう! そんなに凝視しないの!」
凛「はっはっは!」


にぎやかな3人は明海の病室に入っていった。

ジェームスというのは、イメンマハの大聖堂に立っている顔の長い不審な男である。
彼は不規則に「小さいことから、実践してください。それがやさしです。」という預言をするため、
感化されたあすさんはジェームスをバファリンの主成分だと勘違いしていたのだ。


明海の母「ええと…二人で散歩でもしていたのかしら?」
凛「は、はい。べ、便所のトイレへ」
明海の母「まぁっ…便所のトイレ……」
明海「ちょっと! そういうタイミングであすさんみたいなボケをしないでよ!」
あすさん「ほう…」
執事「まぁまぁ…aspirinさまのご愛嬌ということで…」
凛「???????」


凛は事情をまったく飲み込めないようである。


あすさん「甘いな………。お母さん、もう一度さっきのセリフを言っていただけますか?」
明海「お…おかあさんですって!?!?あすさん!?」
あすさん「(ジッと見つめてニヤリと笑う)」
明海「…………………あっ」


明海はあすさんのペースに簡単に乗せられてしまうのである。


凛「あはは……みんな仲がいいんだね」
明海「あのね、これはね、あすさんがね……」
明海の母「さっきのセリフというと……二人で散歩でもしてたのか、でいいのかしら?」
あすさん「たまには散歩もいいわね」
明海「フレッタ……」
あすさん「『ピーピー』」
凛「ははは…なんだかよくわからないけど面白いね」
あすさん「うむ」
明海「ちょ…あすさん…これは冷笑されてるのよ…」
凛「そんなことないよ。僕はこういう笑い方なんだ」
あすさん「うむ」
明海の母「明海、体はなんともないの?」
明海「まぁ、特には…」
凛「うん、さっきより元気になったみたいだよ」
執事「やはり明海さまはaspirinさまとご一緒でなくては!」
明海の母「そうね」
明海「もおぉ~~~~~~~っ!!」
あすさん「ウシ━━━━━━━(☆・(∀)・)━━━━━━━!!!!!」

同じ2本の足がついているといっても、明海とあすさんのそれは違う。

安静が必要な体でありながらも自由に歩き回る明海と、
健康体のくせに椅子に座ったまま硬直しているあすさんなのである。


明海の母「昔から落ち着きのない子でしたから、そんなに心配することはないですよ」
執事「は、はい……aspirinさま、どうかご安心を…」
あすさん「たとえ怪我をした部位が手だとしても、傷口が化膿すれば発熱や全身の倦怠感が起きる場合がある…」
明海の母「……というと?」
あすさん「絶対安静が必要なはず…」
執事「あ、ああぁ……やはり明海さまの身に何かあったのでは……!」
あすさん「おや? 誰か来たようだ」


エレベーターから降りてきたのは、車椅子に乗った明海と、それを押す凛であった。


明海の母「明海!」
執事「ご無事で……」
明海「…あ、あすさん…」
あすさん「ほら、やはり自分の足では歩くことができないでしょう」
明海「……何の話?」
明海の母「…えっと……あなたは…?」
凛「あ、どうも! はじめまして」
明海の母「明海と同じ学校の子ね?」
凛「1年の馬塲凛といいます」
執事「おお……あの半分がやさしさでできているという……」
あすさん「ジェームス……」
明海「それは違う……」
凛「????」
明海の母「バファリン……」
凛「…え…あ…まぁ、はい、そう呼ばれてます…」


明海「(もうっ!!あすさん、明らかに変なボケをしないでよね! 空気がおかしくなったじゃない…)」


明海はあすさんをにらみつけてそう思った。
しかしあすさんには伝わらなかった。

明海の母「それで明海が納得するなんて納得できません」
あすさん「いいシャレですね」



いつの間にか体調がよくなっているあすさん。
まずは明海の母を納得させる必要がある。



あすさん「波風の立たない展開はありえないと考えるべきです」
明海の母「…それは、たしかに、ずっと順調なことなんてないけれど……」
あすさん「海や川の堤防を高くすれば水害は防げる、と昔の人は考えたのです」
明海の母「そうですね」
あすさん「しかし現実には、堤防を越える水が押し寄せることもありました」
明海の母「それで……決壊した、と……?」
あすさん「そうです。高くするだけではだめなのです」
明海の母「ではどうすれば……」
あすさん「地震に強い建物についても考えてみてください」
明海の母「耐震構造……」
あすさん「揺れに耐える。とにかく耐える。家を揺らさないぞ! という発想ですね?」
明海の母「そうです」
あすさん「しかし現実には、揺れに耐えようとしたために逆に建物が崩壊することがありました」
明海の母「……なるほど……」
あすさん「揺れにあわせて建物も揺れる構造にし、地震のエネルギーを穏やかに逃がす工夫をしたほうがいいのですよ」
明海の母「ということは……」
あすさん「堤防の話に戻すと、高さよりも奥行きのある構造にし、水があふれても穏やかに流れるようにするのです」
明海の母「そうですか…。なんでもガチガチに固めればいいというわけではないのですね」

あすさん「教育でも同じです。四六時中ずっと先生がついて授業をすればいいというものではありません」
明海の母「息抜きも必要………」
あすさん「内容の詰め込まれた教育は効率が悪いばかりか、実際に成果を上げられないことも多いのです」
明海の母「でも、それであすさんの仕事が終わってしまうなんて……」
あすさん「このくらい大げさに切り出さなければ、明海の母親であるあなたに理解してもらえないと思ったからですよ」
明海の母「えっ……と、いうことは……じゃあ……??」
あすさん「私はどこへも行きませんよ」
明海の母「……よかった……」
あすさん「ただ、少し大げさに演出しておかないと、事の重大さが伝わらないまま次に進んでしまうことになりかねないので」
明海の母「明海の態度の変化が、それほど大きなものだったということですか…」
あすさん「学校で初めて友達ができたとすれば、明海にとっては非常に大きな変化になるはずです」
明海の母「よくわかりました…」


適当に説明し、明海の母を納得させることに成功した。

すると、執事がものすごい勢いで二人のところへ走ってきた。


執事「奥さま!!大変です!!」
明海の母「どうしたの?」
執事「明海さまが…病室におられないのです!」
明海の母「トイレとか、食事に行ってるんじゃないの…?」
執事「っは……」
あすさん「…そんなに動けるほど回復しているのだろうか…」

あすさんに金をつかませておけばどうとでもなる──

明海の母はタカをくくっていた。


しかし今、目の前で起きているのはどういうことなのか。
あすさんはその金を受け取らず、すぐにも撤退しようとしているのである。



明海の母「……では…どうすれば残ってくれますか?」
あすさん「残るか残らないかの問題ではないのですよ」
明海の母「月謝を2倍……いいえ、10倍払うことで残ってもらえますか?」
あすさん「金額の問題でもありません」
明海の母「では娘は…どうなるのですか…」
あすさん「心配しなくてもいいではありませんか」
明海の母「……なんてこと……」
あすさん「明海はあなたに心配される必要がありますか?」
明海の母「そ…そんな…」
あすさん「はっきりと申し上げましょう。この家庭では誰も幸せになることはできません」
明海の母「…………」
あすさん「“錬金術を通じて物質を変化させることより人の心を変化させることのほうが難しいものです”」
明海の母「……その言葉は…!」
あすさん「この意見はもっともなのですが、言っている本人に問題があるため、今ひとつ説得力に欠けています」
明海の母「人の心………」

人間ではないあすさんが、このような発言をするのは実に不思議なことである。
別の生物なのに、妙な説得力がある。



あすさん「だいたい明海が入院しているのに、見舞いに行こうともしないのですね」
明海の母「それは……わたくしにも仕事があるから……」
あすさん「そうですか。どうせ今の明海は親も、私も、見舞いに来ることを期待していませんけどね」
明海の母「……行きましょう……」
あすさん「仕事があるのでしょう」
明海の母「……明海の見舞いに行きます」
あすさん「いってらっしゃい」
明海の母「あすさんも…お願いします…」


あすさん、明海の母、執事の3人が屋上のヘリポートへ向かうと、天候が再び荒れ始めてきた。


あすさん「……地上を走っていくことはできないか?」
執事「は、はい……ただいま手配いたします……」

エレベーターで6分かけて地上まで降りると、天候が回復した。

あすさん「……どうする……」
明海の母「地上を走りましょう…」
執事「お車の準備ができました」
あすさん「早いな」

あすさんの前にやってきたのは、ピンク色に点滅するごく普通のリムジンであった。

あすさん「この車は誰の趣味なのかね…」
執事「もちろんaspirinさまのご意見を反映させたものでございます」
明海の母「ピンク点滅なんてレアだと思いません?」
あすさん「……どういう原理で点滅しているのだろうか……」


ピンク点滅リムジンは、内装もピンク点滅であった。


あすさん「すごい……」
執事「このために色指定染色アンプルを10個も使いました」
あすさん「10個……」
明海の母「気に入っていただけたかしら……」


あすさんは鮮やかなピンク点滅リムジンに乗り込み、気分が悪くなった。


執事「……もうすぐ到着しますから……」
明海の母「…ちょっと点滅が過剰すぎたのでしょうか……」
あすさん「快適だけど、点滅がきつすぎる……」

あすさんは乗り物酔いよりも気分が悪くなり、病院に到着するころには意識を保つことさえ困難になった。


執事「aspirinさま……病院へ行かれたほうがよろしいでしょうか…」
明海の母「なに言ってるの? ここがその病院じゃないの」
執事「そうでございました……」
あすさん「大丈夫……少し外で体を冷やしてくる……」
明海の母「では、わたくしは先に行ってきますね」
執事「はい。ご案内いたします」

あすさんは雪の混じる北風に身をさらし、明海の母と執事は病院へ入っていった。

執事「明海さまの病室は…」
明海の母「何階?」
執事「……少々お待ちください。受付で聞いてまいります」
明海の母「……さっき行ったはずじゃなかったのかしら……」
執事「奥さま、6002号室でございます」
明海の母「じゃあ6階なのね」

すると、あすさんがものすごい勢いで走ってきた。

あすさん「ちょっと待って~~~~~!」
明海の母「あ、あすさん! もう平気なのですか?」
執事「お、おお……顔色もよくなられたようで…」
あすさん「もう一つ重要なことが…」
明海の母「なんでしょう?」
あすさん「……ひとつ、芝居を打ってもらいたいのですが…」
明海の母「芝居……?」
あすさん「明海の将来を占う重要なことを知るためです」
明海の母「明海の将来…ですか…。ど、どうぞ。何でも言ってください」
あすさん「あなたの口から直接、私をクビにした旨を伝えてほしいのです」
明海の母「……えっ!?あすさんをクビに……?」
あすさん「そうですねぇ…理由は…、“明海の支えには到底なりそうにない”ということにして」
明海の母「ちょ、ちょっと待ってください。そうしたらあすさんはどうなるのですか?」
あすさん「いえいえ。その前に明海がどのように反応するかがポイントなのです」
明海の母「明海の…反応…」
あすさん「あわてて取り乱すのか、納得するのか」
明海の母「納得するはずがないと思うのですけど……」
あすさん「私の予想では、明海はあっさりと納得するはずです。そうなったほうが計画を立てやすいので」
明海の母「……いったいどういうことでしょうか……」

あすさんの考えを読み取ることができない明海の母。


あすさんは自分からチャンスを棒に振ろうとしているとしか思えないような行動をとっている。
しかもそれは、明海のチャンスをも奪うことになるのではないだろうか。

野菜たっぷりの温かいスープと、キノコをケチったグラタンを食べたあすさんは満足し、
その後、再び退屈となった。


執事「aspirinさま……このメニューは、明海さまとよくご一緒に食べられたものでございますね…」
あすさん「ゲームの中だけど……」
執事「野菜スープは猿にギフトし、キノコグラタンは頭を活性化させる…とうかがっております」
あすさん「正解」
執事「ああ……これからどうなさいますか……」
あすさん「………帰ろう」
執事「は…はい…」
あすさん「2週間、自宅待機ということになる…」

二人は病院の屋上に出て、自動操縦のヘリで自宅へ帰ることになった。



帰宅しても、迎えに出てくる者は一人もいない家である。


あすさん「…やはり……この家は家とは思えない……」
執事「……といいますと…」
あすさん「家族が帰りを待っているようには感じられないのだ……」
執事「……ああ……」
あすさん「家を出るとき、帰るとき、自分はまるで“お客さん”のような感覚がする…」
執事「はい……わたくしも…そう思います……」
あすさん「こんな環境で育った明海のことを、そう簡単に理解できる人はいないだろう…」
執事「その、理解できるお方こそがaspirinさまだと思っていたので……あ、いいえ…ああ……」
あすさん「いいんだ。私も理解はできていない。だから能無しだといわれても仕方のないことだと思っている」
執事「そんな…決してそのようなことは……」

あすさん「明海の母親に会ってくる」
執事「はっ……どうなさるのですか?」
あすさん「辞任する」
執事「お…お待ちください……も、もう少しお考えになったほうが……」
あすさん「これでいいんだ」
執事「では…明海さまの将来はどうなるのですか……」
あすさん「家庭教師には生徒の進路を決めることなどできない」
執事「しかし…」
あすさん「…とにかく母親と話をしてくる」


明海の母親は衣料品店のオーナー。
まったく姿を見せていなかったが、一人で衣服の製作を行っているのである。


明海の母「あら、あすさん、こんにちは」
あすさん「……大事なお話が」
明海の母「なんでしょう?」

あすさんは初日に受け取った300万円入りの封筒を出した。

明海の母「……どういうことでしょうか?」
あすさん「これはお返しします」
明海の母「まだ1週間もたっていないというのに…」
あすさん「その1週間で、明海の行動に大きな変化が起こったのです」
明海の母「…大きな…変化…?」


明海の母は手を休め、あすさんと真剣に話をするために向き合った。


明海の母「明海が変化したと……」
あすさん「友達ができたのです」
明海の母「……そうなの!?」
あすさん「友達以上の相手を、明海が自ら見つけたとも考えられます」
明海の母「ちょ、ちょっと待って? たったの1週間で、明海が変化するとは思えませんよ…?」
あすさん「なぜそう思われるのですか?」
明海の母「明海が…あすさん以外に心を開くものですか……」
あすさん「…そう……ずっと気になっていたのですが、その前提こそが大きな間違いなのですよ!」
明海の母「……そんなはずは……」

あすさん「明海の将来の夢はなにか、わかりますか?」
明海の母「え……役者になること…?」
あすさん「では私の今は? 将来はどうなるのか? わかりますか?」
明海の母「……そ…それは………」
あすさん「どう考えたってつながりようがありませんよね?」
明海の母「……でも……」
あすさん「本当に、明海のことをよく知ろうと思われたことがありますか?」
明海の母「もちろん…」
あすさん「私のことはどうですか? ほとんど誤解されているようですけど…」
明海の母「……明海の話題に出てくる人物は、あすさん以外いません……」
あすさん「寝言でも私を呼ぶような…?」
明海の母「あの子がわたくしに話すのは、あすさんとゲームで遊んだということだけ…」
あすさん「それで私しかいない、と……」
明海の母「そう! ほかに誰がいるというのですか?」
あすさん「ほかの誰かがいたとしたら?」
明海の母「………………誰なの? 知りたい……」
あすさん「そう思うでしょう? 知りたい知りたい知りたい、と思うでしょう?」
明海の母「当然じゃないですか……」
あすさん「ではなぜ、私については知ろうとされなかったのですか……」
明海の母「…………」



もともと明海の突拍子もない発想から始まった、今回の一連の出来事。

それ以前に、あすさんのことをずっと誤解し続けていた明海の母親。

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