このような講座は有益だが、単なる理論でしかない

理論だけで満足するのも一つの楽しみ方です。批判的な精神が養われるためあまりよい傾向とはいえませんが…。
どれほど理論に精通していても結局ラフを1枚描くのがやっとだったり、目が肥えて人の作品の粗探しをするようになったり。

デッサンは目標としては「低すぎる」。

デッサンは手段であって目的ではない、ということは何度も強調してきました。
デッサンのやり方、頻度、上達の仕方などを吟味するというのは、「道具」を決めるのに延々と迷っているような状態なのです。
パソコンのキーボードにはさまざまな種類があり、価格、機能、スイッチの構造、キーの数・配列などの違いがあるのですが、
どんなにいいキーボードを手に入れても、キーボード自体が勝手に動いて文字を入力したり、プログラムのコードを書いたりするわけではないように、
デッサンもただ上達するだけというのはほとんど意味のないことなのです。

卒業か終了か。

どんなに魅力的に思える絵画やイラストを描く行為も、多くの人は飽きて、やがてペンを持たないようになります。
それは正常なことです。少しも恥ずかしいことではありません。
絵を描く行為“以外”の趣味や仕事、ないし「手段」を見つければいいのですから。

かつては多くの人に利用された「ポケットベル」ももはやその役割を終え、携帯電話やスマートフォンに移行したのと同じように、
絵を描く行為もまた一種の「ブーム」のようなものだから、その人にとっては終わりを迎えることもあるのです。

一生懸命描いた絵を評価された経験のある人がそれを捨てるのは非常に大きな抵抗があるでしょう。
昔の栄光や名誉にいつまでもすがりたい、と思うのが人間です。
しかし絵画や音楽(作曲・歌唱)に夢中になる人は精神的な問題を抱えることが多いのが現実です。
オンラインゲームに依存性や中毒性があるのと同様、適度に離れたり休んだりすることがとても重要になってきます。

自分の意思で卒業ないし終了させることは非常に重要なのです。
これは決して否定的な意見ではありません。
なぜなら絵を継続することで精神を病み、自己を失っていくとすれば、損をすることのほうが多いからです。
写真やトレスその他の手段もある時代にあって無理をする必要はまったくありません。

そもそも“絵師”は飽和状態である。

絵を描く人はいても、見たいという人、すなわち“需要”というものはあまりありません。
ソーシャルゲームやカードゲームなどで必死にその需要を作り出そうとする動きがありますが、
やはり“供給”のほうが多くて絵師があまってきているのが現状です。
絵を描く仕事を増やすためには、まず、需要の開拓が必要なのです。

(゚∀゚)カエル!