資料は必ず用意する

初心者ほど固定観念の強いものが「資料を見て描くのはよくない」という考え方です。
しかし「何かを見て描くのはずるい」という感覚は上達の妨げになってしまいます。

資料をただ集めるだけで満足していないか?

インターネット上には絵の「資料」となる情報が膨大にあるため、常に集めている人も多いのではないでしょうか。
ネットの普及する以前は「資料」といえば本か雑誌、テレビ、映画などのメディアしかありませんでした。
通信回線の常時接続が当たり前になった現代では、検索サイト等で自分の要求に合った「資料」を容易に入手することができます。

インターネットの利用が日常的になっている人にとって「資料」の価値は、それが普及する以前の人と比べて低くなりがちです。
わずかにポーズやアングルの違う資料も探せば見つかるし、色彩や構図などの組み合わせも自分の都合で選ぶことができるため、
資料一つ一つの扱いや認識がぞんざいになり、それぞれをあまり大切にしなくなるからです。

資料はどこにある?

もっと時代をさかのぼって、「写真」や「印刷機」さえなかったころの画家たちはどのようにしていたのか考えてみましょう。
「資料」となりうるものは、自分の入手できる「絵」か「実在のモデル(人物)」しかありませんでした
たとえばある「服」を描きたくても写真というものは存在しないから、実際の服を手に入れるか着用したモデルを雇うしかありません。
服のみならまだしも、それを身につけたモデルは生きた人間なので長時間その場で同じポーズを取り続けることは不可能だし、
「必要になるときまで保存しておく」ということはできなかったのです。

昔の「資料」は現代とまるで違っており、保存や加工の自由が利かない貴重品のようなものだったのです。
「ネット検索で簡単に見つかる」現代と異なり、昔の「資料」はお金を払って手に入れるか、モデルと契約して都合をつけてもらうしかなく、
即席で用意できるものでもないし、いつまでも保存しておけるものでもなかったのです。

それで昔の画家たちは「資料」を書類やデータとしてではなく、自分の「頭の中」に徹底的に叩き込むことに尽力しました。
現代ではおいしそうな料理も写真に収めておけばいつでも見ることができます。
しかし昔は写真などないから、まだ食べられるうちに料理を絵に描きとめ、自分自身で「資料」を作るしかなかったでしょう。

資料が多すぎて活用できない。

話を現代に戻して、「資料」が自分のデスクや本棚、パソコンのハードディスクなどに保存されている画家を想定してみましょう。
ありとあらゆる分野の「資料」をいつでも自由に取り出すことができるとします。
それらは整理されていて、要求にかなったものをすぐに見つけることもできます。
………
ところが、いざ資料を絵に活用しようとすると、「参考になりそう」なものが多すぎて生かせなくなることが多いのです。
それどころか資料の細部が気になり、「ちょっと角度が悪い」とか「手の形が気に入らない」などと不満が起こり、
資料そのものの吟味に追われる結果に陥りやすくなります。

「資料を見ない=すごい」ではない。

「資料を見ないで描きました^^」
「資料がないので上手く描けませんでした^^;」
という人は往々にして多いものです。

資料を見ないで描くことは素晴らしい、とさえ思っている人がいます。

もしあなたが自分の家を建てようとする場合、間取りを詳細に記した「設計図」を書いたり、建築士と相談したりするのではないでしょうか。
「こういう家をこういう予算で建ててほしい!」という要求があるのに、それを無視して建てられたらどういう気がしますか??
建築上は問題のない家が完成したとしても、自分の望んだ家ではないし、費用も時間も要求と異なってしまっていたら──。

ましてや絵の練習中の身である人が「資料を見ずに」描くというのは!

「こういう絵を描きたい」という思いがあるのに、肝心の「資料」を使わない人が多いのです。
「資料を見ないで描いたから完成度が低くても勘弁してね(ゝω・)v」。
それは「不真面目に描いた」「適当に描いた」ということです。

「資料を見ればもっと上手く描けるよ(ゝω・)v」。
というメッセージが隠れている場合もありますが、それならばなぜ「もっと上手く」描かなかったのか、
「いつ上手く描くのか」という疑問が生じます。
今でしょ!

資料を見ようが見まいが結果が全てである。

「資料を見て描いても見ずに描いても結果的に完成品で評価される」ということがわかっていない人が多いのです。
「絵を描く過程をたしなみたい」というのなら結果をとやかく言うこともありませんが、実際には結果が全てです。
資料を見ずにただ「落書き」や「ラフ」を描いても、その「過程」が売りになることはほとんどありません。

資料を見て描くことに抵抗のある人は、そもそも絵を描くことに向いていないのではないでしょうか。
人物を描くのに「裸」を見て描くことに罪悪感を覚えるような人には、まともな人物画は描けません。

資料や資料になりうるものを必ず用意し、必ず見て描くことが大切です。

(゚∀゚)カエル!