「デッサン」を強調する背景にあるものを読み取る。

来る日も来る日も「デッサンデッサンでうんざり」という人は意外に多いものです。
そうやってデッサンから手を引くことである種の「思惑」にハマっているのです。

競争相手は少ないに越したことはない。

デッサンが絵を描くうえで重要なスキルであることを認識できていても、
現実にはデッサンをそれほど重要視していない作品や、「描き方」が多くみられるため、
「デッサンという言葉に振り回されているだけ」「デフォルメに徹したほうがよい」と感じる人は少なくありません。

ところが実際は、デッサンのスキルがあってこそ表現力は発揮できるのです。
実際に自分の描きたいキャラクターや世界においてはデッサン(写実性)は重要ではないかもしれませんが、
そこへ至るまでには必要不可欠で、避けては通れないものになっているというのが本当のところです。

自分が今までに描いたことのない動物や乗り物などを思い通りに描くにはデッサンが必要です。
最初からデフォルメされた絵だけを描いたり、「描かずに済む方法」を考えたりしていてはいけません。
そんなふうに逃げていたのでは、「デッサンのできる人」のほうが有利になるに決まっているではありませんか。

そうです。
そうやってデッサンを避け、自分の好きなものだけを描くようになれば、
デッサンのできる人にとっては競争相手が一人減ることになり、少し有利になるということなのです。

学校でデッサンを学ぶべきか。

これは誰もが疑問を抱く重大な事柄です。
「通えるものなら大学へ通うべき」というのはかなり多くの人に受け入れられ、あまり疑問の余地はありません。
でも一番肝心なのは、大学へ通うこと、つまり入学することが目的なのではないということです。
たとえ入学試験に合格しても、大学で真面目に勉強する気のない人は成長しません。
もちろん、「卒業すればそれで終わり」でもありません。

大学へ通ったから、大学を卒業したから、有利になる、というわけではないのです。
自分が大学で何を学ぶか。これが大切です。
入学すればあとは適当でいい……そんな人は、大学へ通えなかった人よりも劣るかもしれません。

「大卒は当たり前」──言葉のあや。

言うまでもなく、絵を描くことに関しては「学歴」そのものが最重要事項ではありません。
「大卒は当たり前」というのは学歴に関してではなく、大卒の実力があって当然、という意味です。
逆に言えば、どんなにいい大学を出ていても、その後、実力を発揮するがないのなら無職になるということです。

どうか、自分の都合のいい解釈をしないでいただきたいのですが、
「大卒は絶対にしなきゃ!」とか「実力があれば大学など行かなくてよい」という意味ではないのです。
そんな自分勝手で安易な考え方をしていたのでは、どのような分野であっても絶対に続けていくことはできません!!

ただの趣味なら趣味で続けていけばいいのです。
以前の記事に書いたように、絵を描く人は最初から「プロ意識」にとらわれて
自分の姿が見えなくなってしまうことが多く、「趣味」の枠に収めることができない場合があります。
高校生や大学生は将来の進路を考えることがとても大切な時期ですから、絵を描くこと、それも「デッサン」に
あまり過剰な意識を向けず、自分だけで悩まないで、いろいろな人や文化に触れるなどの行動を取りましょう。

高校や大学で学ぶのは、「デッサン」だけではないのですから。
一般教養、社会性、協調性、それに人生に対する前向きな意識。すべてが大切なものです。
「絵を描くだけで生きていける」というのは、現実にはありえないのです。

(゚∀゚)カエル!