警戒心は緩んだものの、あすさんは大きな疲労感に見舞われてしまう。
まだ明海の母には警戒が必要であるし、今さらながら自宅に連絡を入れていないこともあるため、
家庭教師としてのあすさんの初仕事は非常にハードなものとなった。


明海「あすさーん! どう~? あたしの浴衣姿! 似合ってる~?」
あすさん「…………えーと?」
明海「まさか、あすさん……着方がわからないの?」
あすさん「慣れないので……」
明海「んも~…しょうがないんだから~」
あすさん「いやぁ…なんか、もう、ぐったりして……」
明海「はい! できたわよ。うーん…どうしよう? 食欲もないの?」
あすさん「簡単に食べられるものを頼もうかな…」
明海「わかった。じゃあ行こう~」


明海はあすさんの腕をつかんで引っ張っていく。
ますます積極性を増していく明海の行動に、あすさんは戸惑いの色を隠せない。


あすさん「やはり明海の体は左右対称だ…」
明海「まだ言ってる~」
あすさん「モデルとしてもやっていけそうだ」
明海「モデルか~! あすさんに言われると自信が沸いてくるなぁ」
あすさん「…でも、路線がそれると心配だ……」
明海「ああ、そっち系には行かないから大丈夫だよ~。あすさんだって嫌でしょ」
あすさん「うむ……」
明海「あすさんだってモデルになれるんじゃない~?」
あすさん「私には無理だよ……」
明海「そうかな~? 需要はあると思うけどね」
あすさん「……なんの需要……?」
明海「あすさんを見たい人もいるんじゃない?」
あすさん「……そういえば…ここへ来るときに……」
明海「え? スカウトでもされたの!?」
あすさん「…………タゲられた…………」
明海「タゲられた??誰に??」
あすさん「とにかく、いろんな人に……」
明海「ほらね! タゲられるということは、それだけあすさんが目立ってるって証拠でしょ~」
あすさん「そうか……でも、タゲが切れるまで必死に耐えて…疲れた……」
明海「あらあらあら……お疲れさま……」


足を引きずりながら歩くあすさんを引っ張っていた明海であるが、
そんなあすさんを察してからは、少し加減するようになった。


執事「明海お嬢さま、aspirinさま、お待ちしておりました。どうぞ、こちらへ」
明海「ねーねー、あすさんは疲れてるみたいだから、座敷がいいんだけど」
執事「それはそれは……車椅子をお持ちしましょうか…」
明海「あすさん、どうする~?」
あすさん「いやぁ…」
執事「担架のほうがよろしいでしょうか?」
あすさん「いやいやいやいや…そこまで重症ではない…。どうせ持ってくるまでに時間がかかるのだろう…」
明海「あたしが押していくからいいよね。さ、歩いて歩いて」
あすさん「さすが…。毎日こんなに歩いている明海は元気がいい……」
明海「あすさんも慣れちゃえば大丈夫だからね」
あすさん「ははは……なんか、もう、どっちが面倒を見てもらっているのやら……」
明海「あははははは」
執事「なんとも楽しそうな明海お嬢さま……感激です……」
明海「泣いてる…」
あすさん「こんなに元気な明海は珍しいのか…」
執事「はい…このようなお姿は…初めてで……」

感激のあまり号泣する執事であった。

あすさん「…こんなことを聞くのはなんだけど……」
明海「なになに?」
あすさん「ちょっと執事の雰囲気が違っていたね?」
明海「あぁ、執事っていっても何人かいるらしいよ?」
あすさん「なん…だと…」
明海「あたしにも見分けはつかないけどね~」
あすさん「みんな同じに見えるぞ……?」
明海「うん」
あすさん「エージェント……」
明海「エージェント?」
あすさん「スミスとかブラウンとかジョーンズとか……」
明海「執事に名前つけちゃった?」
あすさん「マトリックスの……」
明海「あれか…。あんなんじゃないと思うけどな~」
あすさん「人工的な……」
明海「うーん。まぁ、その話は食べながらにしようよ」
あすさん「そうしよう。……まだ歩くのか…」
明海「それとも走る?」
あすさん「いいえ、歩きます……」


ようやく食卓にたどり着いた二人。
テーブルの上には色とりどりの食器が並べられている。


あすさん「あぁ…この皿に料理が出てくるのか…?」
明海「はい、メニュー」
あすさん「トーストと……サラダと……ホットココアでいいか」
明海「それだけで大丈夫?」
あすさん「うむ……さっさと食べて眠りたい…」
明海「そっか~」
執事「ご注文はお決まりでございますか?」
あすさん「このトーストと、サラダと、ホットココア」
明海「じゃああたしも同じでいいや~」
執事「かしこまりました」
あすさん「あ! あと! 明海の幼少期の写真を」
明海「あ、あすさん……そんな言い方すると…ヤバく聞こえるっ……」

執事「明海お嬢さまの…写真…でございますか…?」
あすさん「なければいいけど…」
執事「それは…今は…お見せすることが…できません…」
明海「あたしも見たい!」
執事「お…お嬢さま………」
あすさん「見せられない何かがあるな……」
明海「……まさか……」
あすさん「ああ、けっこう。写真を持ってこなくてもいいよ」
明海「え? 見なくていいの?」
あすさん「どうせフォトショップで加工した写真を持ってくるだろう」
明海「そ、そうか……事実は見せられないのね……」
執事「……申し訳ございません……」

執事は足早に厨房へ向かい、料理を持ってきた。

執事「お待たせいたしました」
あすさん「ん。ずいぶん早かったようだ」
明海「いつもこのくらいの速さで行動してほしいね…」
あすさん「……それでも、トーストは冷めている……」
執事「申し訳ございません。焼き立てをご用意いたしましたが、こちらへお持ちするまでの間に冷めてしまいました…」
あすさん「おいおい……飲食店として致命的な欠陥じゃないのか???」
明海「あたしは猫舌だから気にしてなかったけど……致命的だね……」
執事「明海お嬢さま、aspirinさま、本当に申し訳ございません…」
あすさん「ま、いっか……。食べよう」
明海「いただきまーす」


トーストとサラダとココアという、まるで朝食のように軽い夕食を食べる二人。

眠りに誘われ動作の鈍くなったあすさんの姿を見ながら、明海は十分な満足感を得ていた。