マナビノギ

マビノギハァンタジーライフ

マナビノギ レベルを上げたりお金を稼いだりするのはゲームの醍醐味のひとつです。
 現実世界では到底できないことも「ゲーム」という仮想世界でなら自由自在に楽しめます。



 しかし限度はあります。

 アイテムを欲しいが自分には手に入れるだけの資力がないからといって他の人に物を乞う「クレクレ」をしたり、レベルを上げるために自分は苦労をしない「寄生」をしたりするのははほとんどのプレイヤーの間では非とされているでしょう。

 「ほとんど」であって「すべて」ではない、という点がマナビノギに共通する考えです。



 強くなることがゲームのすべてではありません。

 目的地にたどり着くこと自体や結果がすべてでもありません。



 強さの格付けや達成の度合いよりも、それに至る過程こそが重要であるといってもいいくらいです。

 もちろん、MOMでアイテムやスキルブックを買うことは、それが「正当なお金」であれば何の問題もありません。
 正当な仕方で「需要」と「供給」が成り立っている限り立派なゲームなので、一概に悪いといえないのです。
 悪いと決めつけたところで環境がよくなるわけでもありません。



 そこで自分の利益のためだけに他の人の同意を得ずに財産を奪ったり、時間や資力を過剰に費やさせたりするのは、たとえ「強くなっても」ほとんど意味がありません。

 自分の利益ではなく、たとえば自分の「正義」に従った行動は無条件に「利他的」であると考え、それは善行なのだと思い込んでいれば、周りから浮いた存在となることもあるでしょう。

 こうして得られる自己満足は、しばしば迷惑とみなされます。




 健全なプレイを通じて得られた成果だけが、本当の意味で「財産」となり、「やりがい」となり、「面白い」と感じられるようになるはずです。



 自分が強くなるためにどんな手でも使っても許されるということは決してありません。

 また先ほどの例のように、「利己的ではなく利他的」だからといって何をやってもいいということでもありません。



 とはいえ加減の難しい人というのは少なからずおり、純粋にゲームを楽しんでいるつもりでも、他の人からは「自分勝手なやつだ」と誤解されていることがあります。



 ここで忘れないでほしいのは、「強くなるため」か「遊ぶため」かで分類すべきであると言っているのではなくどちらかの立場でなければいけないのでもない、ということです。


 本気で分類に取り組んだとしたら、結局のところ人の数だけ分けられることになるので、プレイヤーの全員を考慮しなければならなくなってしまいます。


 実際、そこまで意識している人はほとんどいません。


 意識したところで損得はその人のうちにしかなく、絶えず増減し常に入れ替わっている人々の実体が見えてくるわけでもないからです。




 究極のところ…


 考えるだけ無駄ということです。


 もちろん「考えること」は必要なのですが、「考えすぎること」は不要です。



 この加減が難しい人のために、許容範囲の大きい器を用意することがとても大切です。


 ルールやマナーで「狭く」することも確かに大切なのですが、やがて自分自身がそれで苦しめられる恐れが出てきます。
 すると今度は「考える」ことが悪影響を及ぼすようになり、以前より確実に悪化していきます。




 どうにも解決しない、何度も繰り返される問題が起こるのは、規則や約束が整っていないからではなく、全体の許容が狭いことが原因かもしれないのです。
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この記事へのコメント

 コメント一覧 (2)

    • 1. 鶫
    • 2011年09月25日 10:41
    • あすさんは、大きくなりましたよね。
    • 2. あすさん
    • 2011年09月25日 12:00
    • >鶫さん
      気は小さく、態度は大きく(´・∀・`)
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