マナビノギ

マビノギハァンタジーライフ

マナビノギ 困り事や悩み事に直面したとき、一番いい解決の仕方というのは、実は誰でも当たり前のように実行しています。

 そのごく自然にとられる行動こそ、最も合理的で、最も少ない労力で、最も楽なものだからです。


 しかし逆に非合理的で、重労働で、過酷な仕方を選んでいる人がいることも事実です。


 「よりよい状態を得るため一時的に非合理的なことを行ったり、ある期間だけ重労働をしたり、やむを得ず過酷な環境に身を置いたりすることもまた当たり前のようにしています。

 実際、人生の半分はそのようなものだからです。



 では、



 残りの半分はどうでしょうか?



 「時間的」に「半分」という意味ではなく、ある期間において過酷な半分と、そうでない期間の半分があるという意味です。

 ここで「半分」という言葉を用いるのは、それらのものが比較的「区別」されているからです。




 わかりやすくいうなら、仕事や学校へ行っているのが半分、休暇や家で遊んでいるのが半分ということです。

 時間的には半分ではないかもしれません。


 仕事が8時間あっても、休みは8時間もないことがあるでしょう。
 テスト期間中、3時間勉強しても、ゲームは一切してはいけないと言われることがあるかもしれません。


 でもかなり鮮明にそれぞれの時間が区別されています。

 ここで考えるのは後者です。





 もともと「ゲーム」というのは悪い意味で熱中するものではありません。

 「何月何日の何時までに作業を終わらせろ」といった強制力は、ゲームのプレイヤーにはないはずなのです。
 またプレイヤーである限り、のプレイヤーに強制力を行使することもできません。
 (ゲームの運営者にはありますが……ここでは深く考えないことにします。運営に何か期待するのはもはや不合理です)





 最初の話題に戻ると、ゲームというのは自分にとって合理的で、少ない労力で、楽なものであるべきなのです。

 にもかかわらず、どこからか不合理なことが入り込んできて、労力が増し、だんだん楽ではなくなってきてしまう現象が起こります。


 それは一体どこから侵入しているのでしょうか?

 何か悪いことを企んでいる人がいるのでしょうか?

 誰かに操られているのでしょうか?



 ………



 そうではありません。

 自分自身がそうしてしまっているのです。





 なぜそういえるのか。



 ここで「温度差」というものが出てきます。


 ゲームを長くプレイしている人と、そうではない人との間には、非常に大きな温度差が認められます。




 長くプレイしている人は目が肥えていて、ほかのゲームと比較することができ、自分なりの考えを持っているという特徴があります。

 しかしゲームを始めたばかりの人にはありません。



 目の肥えている人はゲームのいい面も悪い面も熟知していて、世界観を把握し、温度差のあることを自覚することができます。

 初心者にはそれがありません。







 では……






 実際にゲームを楽しむことができるのはどちらの人でしょうか?




 上級者がどんなにのマビノギを嘆いたり、ボロクソ言ったり、あらゆる手段を講じて悪い現状を伝えようとしたりしても、それとはまったく対照的に、同じのマビノギを非常に楽しく遊んでいる人が存在しているのです。



 これは氷と炎ほどの温度差です。


 疑い深い人は「正気の沙汰でない」と思うかもしれません。

 でも……冷静に考えてください。

 自分と他人は同じ世界と時間を共有しているとしても、まったく別の存在であるということを。

 楽しんでいる人に水を差す行為こそ「正気の沙汰でない」ということを…。

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0 キャラバン・ジョー 2019年--月--日 --:-- ID:manabinogi
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