マナビノギ

マビノギハァンタジーライフ

あすさんは夜遅くまで異常気象について、いや、暴走していると思い込んでいるサーバの所在を調べていた。


しかし、いくら調べても正確な位置を知ることはできなかった。



あすさん「もうこんな時間か……」

時計の針が0時を回り、あすさんに眠気が襲いかかる時間となっていた。

あすさん「……寝るか…」

次の瞬間、突然ダウンロードが停止し、マビノギのサイトにアクセスすることさえできない状態となった。

あすさん「あーあ…。臨時メンテだな、これは……もういいや、寝よう……」

あすさんは明海のいない寝室へ歩いていった。


あすさん「入院中は携帯電話も使えないのだろう……」

明海の寝ていたベッドの前で立ち止まると、あすさんはなんともいえない孤独感を覚えた。


今日は学校でどんなことを学んだのか。
友達はできたのか。
昼には何を食べたのか……

本来ならばこのような話題で盛り上がるはずなのに、部屋には誰もいない…。


あすさん「わずか2日目にして授業を中断することになってしまったな……
 明日は天気が回復して、病院に見舞いに行けるといいのだが……」

あすさんはきれいに洗って乾かしておいた弁当箱を明海の枕元に置いた。

あすさん「執事? 執事さん? いますか~~? ちょっと話があるんだけど~………。
 ん~………返事にラグがあるな……」


執事が姿を見せるまでに2分かかった。


執事「aspirinさま、お呼びでしょうか」
あすさん「呼んだ呼んだ。病院の機能を持っているのは病院しかないのか?」
執事「小さな診療所はいくつかありますが、本格的な病院は樽帝院病院ただ一つでございます」
あすさん「この家の中に病院はないのか?」
執事「あ、いいえ。このご自宅には医療設備が充実しております」
あすさん「じゃあ、明海をこっちで入院させることも可能なのか?」
執事「はい。そのように取り計らっております」
あすさん「…そうか…。明日にでも移送しなくては……」
執事「……それが……悪天候は明日も続く恐れが……」
あすさん「続くというのは予想だから、的中するかどうかはわからないだろう」
執事「は、はい……わたくしもそう思っております……この天気を予想できなかったので、続くという予想もあてにはなりません…」
あすさん「うむ……そうだと信じたい……」


二人は明海のベッドを見ると、深くため息をついた。


執事「aspirinさま…」
あすさん「なんだろう?」
執事「明海さまのことがご心配なのですね……」
あすさん「とても心配だ…」
執事「わたくしも心配でございます…」
あすさん「手のひらが剥離する大怪我か……痛いだろう……」
執事「今ごろうなされておられるのでは……」
あすさん「……想像しただけで痛く感じる……精神的な衝撃も大きい……」
執事「明海さまのご様子をこれほどよく理解していただけるのはaspirinさましかおられません…」
あすさん「そうか……まぁ、そのつもりで来たのだからな……」
執事「……感激いたします……」

あすさん「なんだか……あまり眠気が起こらないな……」
執事「おおぉ……。ですが…そろそろお休みになられたほうが……」
あすさん「そうだな……横になることにするよ……」
執事「おやすみなさいませ…」


布団に入って横になったものの、目を閉じても一向に眠れないあすさんであった。

自分のそばに昨日まであったはずの気配がなく、むなしさだけが漂っているからである。


このとき、予想に反して明海は熟睡しているということなど、あすさんは考えもしなかった。

樽帝院病院から飛び立った教師を乗せた熱気球が高校へ到着すると、
周辺は急に悪天候に見舞われた。


教師「……これは…吹雪になりそうですね……」
養護教諭「生徒たち、大丈夫でしょうか……」

正面玄関の扉にはタオルや新聞紙が当てられ、金属部分に触れて凍傷にかかる恐れのないように対策がとられていた。

教師「病院へ搬送した生徒は無事です。ですが、この天気では往来が困難で……」
教頭「今夜は全員、高校に避難することになりましたよ。今、保護者に連絡を取っているところです」
教師「お疲れさまです」
教頭「先生も少し休んでください。この寒さで汗をかくと風邪をひいてしまいますからな…」
教師「天気予報はどうなっています?」
教頭「はるか上空にあるはずの氷点下40℃の寒気が、地上にまで降りてきているという信じがたいニュースをやっていましたな」
養護教諭「……水道管も凍結する恐れがありますね……」
教頭「ええ……それが……すでに断水してしまっていて……」


水道が止まり、食堂にある食料も大部分が凍結し、高校は孤立してしまった…。




あすさんと執事はヘリコプターで病院へ向かおうとしたが…

あすさん「昨日とは打って変わって猛吹雪じゃないか!」
執事「…aspirinさま…ヘリはあちらにございます…」
あすさん「無茶だ! こんな吹雪の中を飛べるわけがない!」
執事「ですが……お嬢さまが……」
あすさん「10m先も見えない吹雪だぞ。こんな暴風雪の中を飛ぶなんて自殺行為だ」
執事「わたくしは……行かなくてはなりませぬ……!」
あすさん「待て! それに手を触れるな!!」
執事「…っは…!」

あすさんは執事に飛びかかるようにして制止した。
執事が素手でヘリの機体に触れようとしたからである。

あすさん「危ないだろ! 素手で金属に触れたら、凍りついて離せなくなるんだぞ」
執事「……お…おお………もしや…お嬢さまは…このような状況で……」
あすさん「明海は無事だったと連絡があったのだろう? 今はそれを信じて待つんだ」
執事「…申し訳ございません……つい、取り乱してしまいました……おっしゃるとおりでございます……」
あすさん「ここにいたら我々も危険だ。身の安全を優先したほうがいい」
執事「……はい……」


錬金術は天候を制御することはできない。

レインキャスティングで数mスケールの雨雲を発生させることはできても、
嵐をもたらす積乱雲を発生させたり、消滅させたりすることは決してできないのである。



屋内に戻った執事とあすさんは体が冷え、震えながら廊下を歩いていた。

執事「この寒波の原因は何なのでしょうか……」
あすさん「……ここはもともと高い山だったんだよな? それがなくなって標高が下がった……」
執事「はい……」
あすさん「……説明のしようがない……」


あすさんは昨日の作業の続きを行うため、再びネットカフェに向かっていった。

執事「aspirinさま、よろしければ温かいお飲み物をお持ちいたしますが」
あすさん「コーンポタージュがいい」
執事「はい。ただいまお持ちいたします」
あすさん「(どうせ冷めたやつを持ってくるんだろう…)」

あすさんは昨日のパソコンの前に座り、画面をつけた。


あすさん「まだ終わってねえ~~~~~~~~~~~~~っ!!!!!!!」


マビノギのダウンロードがいまだに終わっていないことに驚いた。


あすさん「フリーズか!?断線か!?どういうことだ!?!?」
執事「どうぞ、コーンポタージュでございます」
あすさん「なにぃ!?こっちは早ええええええええええええ!!!!!!!アツアツのコーンポタージュだ!」
執事「どうぞ、ごゆっくり。それでは、失礼いたします」
あすさん「おいっ! ここのパソコンは回線にちゃんとつながっているのか?」
執事「はい。順調に動作しておりますが…」
あすさん「……ってことは…マビのサーバが混んでるのか……ったく……」
執事「aspirinさま、また何かありましたらお呼びくださいませ」



いつものサーバ不調か──



あすさんはそう直感し、マビノギ公式サイトのお知らせを見たが、何も見つからなかった。

あすさん「自由掲示板……な、なんだこのスレッドは!!閲覧数1500万だと!?」

恐る恐る記事をクリックするあすさん。

あすさん「!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

あすさんは目が飛び出るほど驚いた。

あすさんとのツーショット(゚∀゚)アヒャ

これが証拠( ゚д゚ ) <こっちを見ろ

なんと、ここへ来る前にバスと電車で会った女子高生たちに撮られた写真がアップされていたのである!

あすさん「これ!!!!!取り返しがつかないだろ!!!!!!!!!!!!!!!」

1500万を超える閲覧数のスレッドには、コメント数の上限に達した返信が無数に連なっていた。

マウスを持つ手は震え、額を冷や汗で濡らしながら、別の掲示板をクリックした……

あすさん「SS掲示板!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
 おい!!!!!!!!!!!!!!ネクソン!!!!!!!!!!!!仕事しろ!!!!!!!!!!!」

SS掲示板が一面、あすさんと女子高生たちの写真で埋め尽くされていたのである。

あすさん「なぜこれが削除されていないんだあああああああああああああああああああああああああああ」

SS掲示板のページをめくっていくと、あすさんにまぎれて“法闘士”の腹部の写真が目に入った。

あすさん「なぜだ……これも削除されていない……それどころか、絶賛するコメントが無数に書かれているぞ……」



そう。

天文学的な閲覧数やコメントの投稿がサーバに負担をかけ、クライアントファイルのダウンロードが遅くなっていたのである。


あすさん「……あっ……ブログは……!!!!!」


あすさんはあわてて自分のブログにアクセスしたが、なかなか表示されない。

嫌な予感である。



数分後、ようやく全体が表示されると…



あすさん「そんなバカな!!半日で5000万を超えるユニークアクセスが………こんなに集中したら、このサーバは余裕で落ちてしまうはず……
 というか、いったい誰がこんなに見たいと思っているんだ!?単なるF5連打か!?田代砲??サイバーテロか!?」

アクセスが増えたことが内心、嬉しいあすさんである。


それと同時に、ありえない一つの仮説が脳裏をよぎった。


あすさん「これだけ大きな負荷がサーバに一斉にかかれば、発熱も相当な量になるな……。
 もしかすると……サーバの熱によって局地的な上昇気流が発生し、異常気象を引き起こしているのではないだろうか……」


あすさんはサーバの収容施設の所在を詳しく調べることにした。




夜になると樽帝院病院も猛吹雪に見舞われた。


明海と凛はまだ病室でマビノギについて熱心に話し合っている。

明海「…それでね、毎日のように下着セットを修理に出してるんだって」
凛「うわぁ……錬金術の先生も、影で何をやっているのかわからないね~」
明海「人生で向き合ういかなるものも恐怖の対象ではありません。キリッ! って言ってるのに、一人では戦えないんだもん」
凛「とんでもない先生だね。そんな先生を見習ったら、生徒の人間性も歪んでしまうね」
明海「そうそう! その生徒ってやつが人間じゃないんだな~、これが!」
凛「へぇ! それってもしかして…さっき明海さんが言っていた、あいつ!?」
明海「うんうん! こいつこそが、あ……」
医師「相葉さん~回診の時間です~。具合はどうですか?」
明海「あ~、はい。うーん……電気みたいなしびれと痛みが少し…」
医師「気持ちが悪い、めまいがする、とかはないですか?」
明海「ないです。最初は吐きそうだったんですけど、ちょっと雑談したら気がまぎれました」
医師「そうですか。ちょっと体温と血圧を測りますね」

凛「…あ、それじゃあ僕はそろそろ……」
看護士「ああ! 今、暴風雪警報が出ていて、建物の外へ出られる状況ではないですよ…」
凛「ええ……どうしよう……学校は大丈夫なのかなぁ…」
明海「あ! 窓を見て! 真っ白に凍りついてるよ!」
凛「うわぁ…外はどうなってるんだろう…大変だぁ……」
医師「うーん……ここは病院ですし、一般の方が快適に泊まれる場所はないですから……」
看護士「みなさん、1階のロビーで休まれているみたいです。できるだけ快適に過ごしていただけるよう、配慮しています」
凛「そうですか。僕もここにいてはいけないから、ロビーに移動しますね」
明海「えー、もう行っちゃうの~?」
凛「ちょっとおしゃべりが過ぎたと思うよ……病院では静かにしなきゃね」
明海「うー……明日もお見舞いに来てくれる?」
凛「うん!」
明海「あたし、しばらく右手が自由に使えないから……あ、そうなんですよね、先生?」
医師「ん。そうですね。こういう怪我は治るのに時間がかかりますからねぇ……早くても2週間は……」
明海「2週間かぁ…。2週間は不自由するから、よろしくね、凛!」
凛「うん。お大事にね~」

医師「さて、血圧は正常、体温はやや高いですね。今日はもうお休みになったほうがいいでしょう」
看護士「手が使えなくて困ることがありましたら、ナースコールでお知らせください」
明海「は~い」


こうして明海は眠りについた

明海たちを乗せた大型熱気球が樽帝院病院の屋上に着陸すると、
病院の関係者たちは非常に驚いた様子で見にやってきた。


教師が病院側に事情を説明すると、重症の女子生徒と明海が最初に運ばれていった。


看護士「そちらの方も足を怪我されましたか?」
牛岡「え、ええ……足をくじいてしまって…いてて…」
教師「あと手や足を骨折したかもしれない生徒たちと……先生です」
看護士「動けない方から順番に処置室まで運びます。……先生は自力で来られます…よね?」
牛岡「あ、はい…なんとか…」

こうして全員が無事、病院で処置を受けることができた。


低体温で危篤状態だった女子生徒は意識を取り戻し、食事をすることもできるようになった。
足を骨折した男子生徒は軽傷で、他の生徒と牛岡も簡単な処置で済んだ。

しかし明海の右手の負傷は想像以上に大きく、化膿の恐れがあるため入院を余儀なくされた。




明海が大怪我のため入院するという連絡はすぐに自宅へ伝えられた。




そのころあすさんは、ゆうべの作業の続きを行うためにネットカフェへ向かっているところであった。


執事「あぁーーすぅーーぴぃーーりぃーーんーーさーーまーーーぁぁぁぁ!!!!!」
あすさん「うおおお!?」
執事「たっ…たったったっ…大変でございます!!!お…お…お嬢さまが!!!!!!!」
あすさん「明海が?」
執事「たった今、病院から連絡が入りまして……!」
あすさん「病院?」
執事「右手に大怪我をされて……入院の必要があるということでございます!」
あすさん「なんだって!?いったい何があった!?」

ネットカフェに入る手前であすさんは振り返り、執事から詳しい事情を聞くことになった。

執事「はい…。昨夜からの猛烈な寒波の影響で校舎が凍結し、それにお触れになって大怪我を負われたとのことです…」
あすさん「そういえば昨日、温泉に入ったときに雪が降っていたが……」
執事「お嬢さまの学校から先の地域は大雪で、交通が麻痺し、大渋滞になっているようであります……」
あすさん「…じゃあ、さっき見えた熱気球は…」
執事「はい。お嬢さまの機転により、救急車では間に合わないということで熱気球にお乗りになったようでございます…」
あすさん「……これから病院へ行くことができるか……」
執事「はい……。わたくしもいても立ってもいられません………」
あすさん「しかし…地上がそんな渋滞では……」
執事「ヘリコプターを出動させます」

あすさんと執事は急いで屋上のヘリポートへ向かった。



それと同じころ、教師と養護教諭が学校に報告するため、熱気球が病院の屋上から飛び立った。


明海は右手の負傷のため微熱を出してしまい、点滴をつながれて病室のベッドで寝ている。


明海「…助けてくれて…どうもありがとう…」
男子生徒「いえいえ、お礼なんていいよ…。無事で本当によかった」
明海「…あ、あの…」
男子生徒「喉が渇いた? 水ならここに」
明海「えっと…」
男子生徒「傷が痛む?」
明海「…名前…なんて呼べば……?」
男子生徒「あ、ごめん。自己紹介が遅れたね。僕は1年1組の馬塲凛。よろしくね」
明海「…バファリン…?」
凛「あはは。よくそう呼ばれてるよ~」
明海「ばばりんくん……」
凛「凛でいいよ」
明海「そっか。半分がやさしさでできている凛…?」
凛「やさしさかどうかは、わかんないけどね~」
明海「あたしは4組の相葉明海」
凛「相葉さん」
明海「アイバって呼ばないで…あいつムカつくから…」
凛「そっか…。明海さんがムカつく人がいるんだね……」
明海「ほんとにひどいやつなんだから~~」
凛「ああ、明海さん、あまり悪口を言わないほうがいいよ…」
明海「あいつ人じゃないから!」
凛「そんなこと言っちゃいけないよ…」
明海「いや、アイバってゲームのキャラのことだから!」
凛「なぁ~んだ、そうなんだ~~」
明海「あたしのことすごいなんて思ってないくせに、“明海さん、すごいです!最高です!”って定型文をしゃべるんだよ~」
凛「あはははは…ゲームだもんね。仕方ないよ~」
明海「ほかにもね、どうでもいい玉を集めさせたり、燃やしているわけでもないのに薪を切ってこいとか言うの」
凛「へぇ~! 面白そうなゲームだね。もっと聞かせてよ」


明海は自分の怪我を忘れるくらい元気になり、マビノギのことを凛に熱心に話した。

明海は地面をはうようにしてアイスバーンを抜け、高校の正面玄関までたどり着いた。

手足は凍傷になりかけ、感覚が麻痺した状態である。
指先の震えさえも凍結して動かないような手をさすりながら息を吹きかけ、
どうにか体温を取り戻そうとする明海。

明海が玄関の扉に手を伸ばした瞬間、

明海「いたっ!!!!!!!」

金属製のドアノブに手のひらが凍りついた。


厳寒のときは金属製の物体は凍結しているため、決して素手で触ってはならない!
明海は血の気が引いていくのを感じた。


明海「ひっ……ひいいいいいいいいいいっっっっ!!!!!!!!」

「バリバリッ…ブチッ」

自分の右手が凍りついたことで気が動転し、あわてて引き離そうとしたため、
マジックテープ式の財布を開けるときのような音とともに手の皮が引きちぎれ、
激痛を伴ってドアノブから離れた。

明海「う…うあ………あ……あっ……ああああ!!」

右手から鮮血が噴き出し真っ赤に染まったが、あまりにも低温のためすぐに収まった。
しかし、手のひらの皮と筋肉が剥離し、明らかに削り取られているのが見てわかったため、
明海の意識は遠のいてショック状態になった。

明海「……あ…あぁぁ…あぁ……あぁ……」

その光景を玄関の中から見ていた男子生徒が異変に気づき、すぐに駆け寄ってきた。

男子生徒「大丈夫かい!?扉を開けるよ!」
明海「……あああああ…………」
男子生徒「素手で触っちゃったんだね……大変だ……」
明海「…はぁ……あぅ………あぅ……」
男子生徒「内側も完全に凍結しているから、頑丈なグローブをはめていないと触れないんだ…」
明海「……う……うっ……うっ……うぐ……っ…うぇ……」
男子生徒「傷を見ちゃだめだ! 大丈夫だよ! すぐに手当てするから!」

男子生徒は自分の懐からハンカチを取り出し、明海の右手を慎重に包み込んだ。

男子生徒「立てる?」
明海「…う………あ……あ……」

明海は顔面蒼白で目がうつろになり、全身の力が抜けて動くことができない。

男子生徒「僕が保健室まで運ぶから安心して!」

男子生徒は明海を抱き上げると、保健室へ向かって歩き始めた。
校舎内もところどころが凍結し滑りやすくなっているため、走ることができない。

明海はぐったりとし、体が冷たくなり、非常に危険な状態である。


保健室にはストーブがあり、気温も廊下と比べてはるかに高い。

男子生徒は明海をベッドの上に寝かせると、ガーゼと包帯を取ってきた。

男子生徒「今は養護の先生もみんなの手当てに回っていて、ここにはいないんだ。だから僕が…」
明海「……うっ……う………さ…寒い……」
男子生徒「毛布をかぶって。落ち着いて……落ち着いて……」
明海「…寒い…………死にそう………」
男子生徒「大丈夫だよ。右手の応急処置をするからね」
明海「……だめ…もうだめ……」
男子生徒「大丈夫」
明海「……ぁぁ…………」

保健室に張り詰めた空気が漂う中、男子生徒は明海の右手にガーゼを当て、包帯を巻いて固定した。


男子生徒「…早く病院へ連れていかないといけないのに……救急車が学校まで来られないんだ…」
明海「…ね……ねつ……熱気球…………を……」
男子生徒「…えっ?」
明海「……熱気球……早く……」
男子生徒「熱気球…? 熱気球か! それで病院へ行けばいいんだ!」
明海「早く……」
男子生徒「待ってて! すぐに熱気球クラブに行ってくる!」

男子生徒はクラブの部員と話をつけ、ただちに大型熱気球を使用することになった。


そのころ、校門では…


教師「…目を覚ませー! おいー!!頼むー! 死ぬなあああああ!」
外の男子生徒「先生、あれは!!」
教師「……な…なんだ!?」

グラウンドで巨大な気球が膨らみ始めた。

外の男子生徒「まさか…あれで病院へ!?」
外の男子生徒「飛ぶつもりらしいな」
教師「そうか!!もう気球で行くしかない! よし、お前たち、運ぶのを手伝ってくれ!」

校門に集まった数十人の生徒の協力で、倒れた女子生徒と骨折の疑いのある男子生徒が熱気球まで運ばれた。

教師「どうした! 何があった! 相葉も倒れたのか!?」
中の男子生徒「はい…右手に大怪我を負って……ショック状態に…」
教師「無茶しやがって……」
養護教諭「先生! こっちの生徒たちもお願いします」

白衣を着た養護の先生も、手や足に怪我をしたり、担架に乗せられたりした生徒を連れてグラウンドに出てきた。

教師「これで全員か? ほかのみんなは大丈夫か?」
牛岡「…あと、私も…足をくじいてしまって……」
教師「う…牛岡先生……」
男子生徒「体育の先生なのに…しっかりしろよ~」
牛岡「ああ…すまない……」
教師「よし、もう全員乗ったな? 出発するぞ!」


熱気球が地上を離れ、ゆっくりと上昇していく。


教師「いいか、みんな! できるだけ体を寄せ合って温まり、その場からむやみに移動しないようにするんだぞ!」
男子生徒「は、はい」
男子生徒「牛岡先生~~~! 1時間目の体育はどうすれば~~?」
牛岡「中止だ~~」
男子生徒「ちゅ“うし”だ~~~」
男子生徒「ゲラゲラゲラゲラ…」

教師、養護教諭、負傷した生徒12人、明海、それに足をくじいた牛岡が乗り込んだ熱気球は高く飛び立った。

高度が上昇し、地上で牛岡のことを笑う生徒たちの姿が徐々に見えなくなった。



牛岡「相葉……聞こえるか……? あのとき笑って悪かったな………」
明海「……牛岡…先生……」
牛岡「ああ……寝ていていい…。俺が悪かった……」
明海「……そうですか……」
牛岡「今回、お前が機転を利かせて熱気球と叫んだことで救助が早くなった…」
明海「……そんな……冗談のつもり……だったんですよ……」
牛岡「これでいいんだ。ほら、病院が見えてきたぞ」


見下ろすと病院があった。

病院の周囲の道路は自動車であふれかえり、大渋滞が続いているのが見えた。


牛岡「ほら…。あそこで立ち往生している救急車、たぶん学校に向かっている途中だ…」
教師「このまま病院の屋上に着陸すればいいでしょうか?」
牛岡「ええ。慎重に高度を下げていってください」
養護教諭「…こんなものが屋上に降りたら、みんな驚きますよねぇ……」



そのころ………



あすさん「ははは……なんて寝相が悪いんだろう……。布団から数百mも転がってるよ…」

あすさんは正式に目を覚まし、意識もはっきりとしていた。

あすさん「部屋の中に池があるから危ないよな。もし顔面から落ちていたら今ごろ死んでたかも…」

体を拭いて浴衣を脱ぎ、着替えながら部屋を歩き回るあすさん。
ベッドの上に置かれた弁当箱の存在に気がついた。

あすさん「“あすさんのお弁当です。あすさんの好きなものばかり入れたつもりです。だから残さず食べてね。明海より”
 ふむ……わざわざ私のために弁当を作ってくれたのか……」

時計を見ると12時を回っており、お昼ご飯を食べてもよさそうな時間であった。

あすさん「さっそく食べようかな。…ん? ん? あれは……なんだ?」


ふと窓の外を見たあすさん。
その先には、巨大な熱気球が飛んでいるのが見えた。


あすさん「本物の熱気球!?……あれ? 下がっていってる…。どこに着陸するんだろう?」

あすさんは夢を見ていた。


…マビノギの夢である。


場所はカリダ探検キャンプ──


ケルピー「青いドラゴン、レガトゥスは僕の命の恩人です」
あすさん「いつまで青いドラゴンを“人”と呼ぶつもりなのか……」
ケルピー「……」
ベリタ「男?んー…嫌いじゃないわよ」
あすさん「嫌いじゃないということは、好きでもないということだ……」
ベリタ「……」
アルネン「金で売れるなら魂だって売り払っちまうんだがな」
あすさん「金は命より重い……」
アルネン「……」

あすさんはカリダ湖へ上っていった。

レガトゥス「全ての光が…消えた…」
あすさん「じゃあ周りの光が見えるのはなぜ?」
レガトゥス「グルル…」
あすさん「消えたのは一部の光なのではないか?」
レガトゥス「……」


まだ希望の光はある──


あすさんは勝手に納得し、ケルピーから小型熱気球キットと発火石を購入しようとしたが、


インベントリのお金が足りません。


あすさんはアルネンと会話し、金貨を引き出し、再び発火石を購入した。

そしてフライングスターにまたがって空を飛び、温泉地帯を通過し、
火山オオカミのいる付近に着陸した。


インベントリから熱気球キットを取り出し地面に設置すると、一瞬にして熱気球が現れた。

熱気球に乗り、離陸を始めるあすさん。

あすさん「あ!!ワンド忘れた! ペットの中だ…」

熱気球に乗っている状態ではワンドを持っているペットを呼び出すことができないため、
着陸しなければならなかった。

あすさん「なんで30mまで浮上しないと着陸の操作を行えないんだ! すみやかに動いてくれよ……」

熱気球はホウキやペリカンなどの飛行ペットと比べて低速である。
離着陸にも時間がかかり、移動や方向転換も非常に遅い。


着陸したあすさんはペットを呼び出し、ファイアワンドを取り出して装備した。
使い込まれているため耐久力に乏しい武器である。

こうしている間も熱気球は燃料を無駄に消費し続けているため、すみやかに離陸しなければならない。


熱気球に気づいたアイスワイバーンの群れが一斉に戦闘体勢を取り、アイスブレスをチャージして襲いかかってくる。
一方、あすさんはワンドの力でファイアボルトをチェーンキャスティングし、ワイバーンを待ち構えていた。

ワイバーンが先に火を、いや、氷を噴いた。

アイスブレスは熱気球に命中し、あすさんもダメージを受けた。



あすさん「しまった! 全身を氷属性の装備にするのを忘れていた!!」



非常事態である。

アイスワイバーンの攻撃は氷属性であるため、全身9箇所の装備を氷属性で固めることによって
ダメージを常に1に抑えることができるのだが、このとき着替えるのを忘れてしまったあすさんは、
アイスブレスの直撃によって瀕死状態となってしまった。

あすさん「sldkfじゃ;sdfklじゃ;sldfkじゃうぇおぴらうぇいおjdkじゃ;slfかsd」

ワイバーンの執拗な攻撃でライフポーションを飲むことすらできなかったあすさんは、あえなく倒れた。

寒さを感じたあすさんは目を覚ました。

寒いはずだ。
あすさんは体が半分、池の中に沈んでいたからである。


あすさん「ワイバーン…ワイバーン…アイスワイバーン…。明海に助けを求める……」

あすさんは寝ぼけて携帯電話を持ち、いきなり明海に電話をかけてしまう。


明海「え……あすさんから電話…? はい、もしもし!?」
あすさん「Ask Nao for help...」
明海「……………はぁ?」
あすさん「氷属性を忘れた~」
明海「あすさん? いきなりどうしたの?」
あすさん「ワイバーンにやられた~」
明海「ワイバーン???」
あすさん「アイスワイバーン」
明海「アイス……って、今はマビどころじゃないの!」
あすさん「さっきはワンドをペットから出すのを忘れたし~」
明海「もうっ!!なんなのよ!?」
あすさん「ぼっばおぅ~ん…ぼっばおぅ~ん…」
明海「ファイアボルトがなんなのよ~~~~~~!?」
あすさん「アイスワイバーンは……」
明海「アイスバーン!?」
あすさん「バーン」
明海「あ、あすさん!?もしかして、あたしの状況わかってる?」
あすさん「私なら熱気球の上で氷漬けになって倒れてる」
明海「………そっか! この氷を溶かせばいいんだ……!」

画期的な発想が明海の頭に浮かんだ。



アイスバーンを溶かしてしまえばよい──



明海「…ファイアボルトなんてリアルじゃ使えないって言ってんの~~~~~~!!」
男子生徒「なんか叫んでるぞ…」
男子生徒「ほっとけよ…」
あすさん「だったらフレイマ…」
明海「ええい! うるさいっ!!!!!!!」

明海は通話を切った。


明海「あ! そうだ! この学校には熱気球クラブがある…!
 救急車が地上を走れないのなら、熱気球で病院まで運べばいいんだ!」


今度は画期的な発想なのだろうか…。

明海の通う高等学校は樽帝院の中にある。
自転車で20分、平坦な道を走るか、電車で数分で到着することができる。


自宅からそれほど離れているわけではないのだが、気温がどんどん下がっていることに気がついた。

自転車をこぎながら冷たい風に吹かれる明海。

明海「寒い! ってか冷たい~! こっちのほうは積もったんだ~」

学校に近づくにつれて積雪が深まっていく。

校舎が見えてくると路面にもうっすらと雪が積もっており、スリップ事故の危険性が高くなってきた。
案の定、転倒している人の姿が多数あった。


校門のところに人だかりができていて、なにやら騒動になっているようである。

明海「どうしたの……? 何があったの?」
教師「雪で滑った生徒たちが数十人、折り重なるように転倒して怪我を…」
男子生徒「いてえよぉ……動けねぇ……」
男子生徒「先生! これは足の骨が折れたかもしれません…」
教師「大丈夫か? まともに立って歩けるやつは何人だ?」
女子生徒「あ…足が冷えて感覚がなくなってきました……」
教師「ああ…誰か、校舎へ行って毛布を取ってきてくれ」
明海「あ…あの……あ」
男子生徒「俺が行ってきます!」
教師「頼んだぞ。気をつけてな」
男子生徒「うわっ!」

慣れない積雪で転倒する生徒が続出した。
気温が低く、倒れたままでは体温が下がり、危険な状態になってしまう。

男子生徒「…こうなったのってさぁ……」
男子生徒「…あぁ、絶対あいつのせいだ……」
男子生徒「…相葉の親がこんなに山を削ったからだ……」
男子生徒「…異常気象も全部あいつのせいだろ……」



明海の評判は悲惨なものである。

日本列島の山脈の大部分を平地にし、森や川を人工的な設備に作り変え、
完全な治水を実現させたかのように思われた相葉コーポレーションの革命的事業は、
工事が始められた1年半前から、異常気象を引き起こすものとなってしまっていた。

そのため、明海は高校へ進学する以前に多くの人から非難され、
中学校でできた友達を失い、事実上、孤立しているのである。


明海「……何とかしなきゃ……」
教師「非常に危険だ…。グラウンドが凍結して異常に滑りやすくなっている…」
男子生徒「立って歩くのではなく、地面をはって進んだほうが安全かもしれません」
明海「あたしが行きます」
教師「あ、相葉さん…」
男子生徒「どうせまたろくでもない結果になるだけだ。やめとけ」
明海「……ただ見ているだけでいいの?」
男子生徒「偽善にもほどがあるってもんだろ」
男子生徒「そうだそうだ! 助けたフリをして見直すとでも思ってんのか」
明海「なによ……わかったわよ! あたしの好きにさせてもらうわ!」
教師「ああ! 危ない!」

明海はあえて加速し、カバンをボディボードのようにしてアイスバーンの上を滑った。

男子生徒「すげ……いっそのこと滑っていけばいいのか?」
男子生徒「だめだな。あれじゃ途中で止まる」

明海はグラウンドの中央付近で止まってしまった。

明海「ううっ…冷たい……ここからどうやって進もうかな……」
男子生徒「ほら止まった」
男子生徒「二次災害になったな」
教師「ううむ……救急車がまだ来ない……路面の凍結が想像以上に深刻なようだ…」
男子生徒「救急車も二次災害を引き起こしかねないなぁ」
男子生徒「スケートリンクがこんなに怖いものだとは思わなかったよ…」
男子生徒「アイスバーンに慣れていないのもあるけど、こんな普通の靴だからな…」

女子生徒「先生……私……もう………」
教師「しっかりしろ!」
男子生徒「全身が濡れて体温が下がってるんだ…」
教師「おい、ちょっと上着を貸してくれ! 頼む! 先生も脱ぐ!」
男子生徒「は…はい…」
男子生徒「……凍り始めていますよ……」
教師「なんという寒さだ……。さっきからどんどん冷たくなっている…」
男子生徒「あぁぁ……眠ったらヤバいのでは……」
教師「起きろ! おい! 目を覚ませ!」


骨折の疑いのある男子と、低体温で危篤状態になった女子生徒。


明海はまず自分がアイスバーンから抜け出さなくてはならない。
そして、どうにか二人の生徒を救う必要がある。


明海「こんなとき……どうすればいいの…あすさん……」

明海は、まだ夢の中にいるであろうあすさんに必死に助けを求めた。

「(^q^)うぃくwwwwwwwwうぃくwwてんすwwwwwwぼくてんすwwwwwww」

午前6時を告げる、いけぬまの目覚まし時計である。


明海「ふう、もう朝か~。あすさんは……」

明海は床に敷かれた布団の周囲を見渡し、あすさんの姿がどこにもないことに気がついた。

明海「あれ……あすさん? どこ??」

布団は何者かに荒らされたかのように乱れており、何かを引きずった跡がカーペットに広がっていた。

その跡を慎重にたどっていく明海。



すると…


その跡は明海のベッドの下に続いていた。



明海「あすさん……」

あすさんは非常に寝相が悪いため、床を転がってベッドの下に入り込んでしまったのである。

明海「あすさん……なるほど……これじゃあベッドで寝られないわけよね……落下しちゃう……」

明海はベッドの下のあすさんにそっと布団をかけた。

明海「あすさん…今夜から寝袋で寝たほうがいいね。それとも体、縛っておこうか? フフッ」
あすさん「……だめだよ……おにーちゃん……」
明海「あらやだ……あすさんが寝言を………どんな夢みてるのかな……」

明海はあすさんの寝顔を携帯電話のカメラで撮影し、待ち受け画面に設定した。

空の様子を見るために窓へ向かう明海。


明海「なーんだ…ぜんぜん積もってないや……」

二重ガラスの窓は断熱効果が高くて結露しにくく、視界が常に良好に保たれる。

外を見ても雪が積もっていないため、明海はがっかりしてしまった。


明海「雪が積もったら、1時限目の牛岡の体育は雪合戦になると思ったのにな~…」

牛岡というのは第1話以来だが、明海に人前で恥をかかせた熱血体育教師のことである。
その名のとおり牛のような体格で、生徒や保護者にも人気のある先生だ。

明海「一時はあいつのせいでトラウマになったけど……。あすさんのおかげで、今は平気だよ……」
あすさん「……うしー……」
明海「あすさんは…お昼まで寝てるかな…」
あすさん「……しかー……」
明海「あすさんと登校できたらいいのにな…」
あすさん「……くまー……」
明海「これから学校で友達を作らないといけないなぁ…」
あすさん「……わにー……」
明海「あすさんのお弁当も作っておくね」
あすさん「……うまー……」



明海の部屋にはキッチンもある。
ロフリオスとは異なり、まともな食材が豊富にそろっている。


明海「あすさんは具の入ってないおにぎりが好きなんだっけ……塩を振って、これでよし、と……」

塩を振っただけの白いご飯をきちんと三角形に握り、弁当箱に詰めていく。

明海「うーん……おかず……どうしようかなぁ……」

あすさんは基本的に食事の手間がかからない。
回転寿司でも100円の皿しか食べない。
デザートはプリンで十分である。

明海「カレー…は…今から作ってたら間に合わないから……適当に玉子焼きでいいや~」

適当である。


明海「あすさ~ん、適当なお弁当だけど、ここに置い……あれ??」

ベッドの下にいたはずのあすさんが消えている。

明海「あすさん??愛妻弁当ですよ~~? 出ておいで~」

どうせどこかに転がっているのだろう──
そう思った明海は、自分のベッドの上に弁当を置こうとした。

明海「えっ! あすさん……」

あすさんはベッドの下ではなく、ベッドの上で寝ていた。
寝相が悪いにもほどがあるのである。

明海「あすさん、お弁当、蹴飛ばさないようにね……。それじゃ、いってきま~す」

明海は部屋から出て、すぐに戻ってきた。

明海「マビのダウンロードの続き、よろしくね! それじゃ!」

食事も無事に終わり、これでようやく眠りにつける──

どうせ寝室まで歩かなければならないのだろうが、やっと休むことができる…。

あすさんの長い一日が終わりに近づいてきた。


明海「ごちそうさま~」
あすさん「うまかった」
明海「さぁて、どうしよっかな~?」
あすさん「私は布団へ直行したい」
明海「きゃーーーーーーーーーーーーーーー」
あすさん「明海とは別々だろう……常識的に考えて……」
明海「えええええええ! がっかり~~~~~…」
あすさん「…本当に眠いんだ…ここで寝てもいいくらいに…」
明海「あたしの膝枕へどうぞ!」
あすさん「…やっぱり布団でいい…」


あすさんは1日7時間以上の睡眠を必要としている。
夜更かしをすればするほど、起きるのが遅くなってしまうのだ。


明海「あ……寝る前にマビにインしなきゃっ!」
あすさん「……もう勘弁してくれ……」
明海「あすさ~ん! もう少しだけ付き合って! ね!」
あすさん「眠すぎてマビなんて操作できない……」
明海「ついてくるだけでいいからぁ~! お願い!」
あすさん「パソコンの前で寝ちゃうよ…たぶん…」
明海「どんなパソコンなのか、あすさん興味あると思うんだけどな~」
あすさん「そうか……」
明海「ちょっとマビやったら寝かせてあげるから、もう少しだけ起きててね!」
あすさん「は~……い……」


執事に案内され“ネットカフェ”の部屋へ歩いていく二人。


執事「こちらがネットカフェでございます」
あすさん「………ぜんぜん違う………」
執事「5万人が同時にプレイできる環境です」
あすさん「5万人……5万台のパソコンか……」
明海「すごいでしょ~」
あすさん「まぁ…私と明海の世代だけでは5万人家族には達しえないがな……5人が精一杯だろう…」
明海「5人って、あすさん! 人数以前にすごいこと考えてない!?」
あすさん「冗談だよ……」
執事「それでは、ごゆっくり」


とにかく近い座席へ。
移動が面倒なあすさんは近場に座った。


あすさん「これが5万台もあるのか……1つ5万円としても、25億円分のパソコ………」
明海「なになに? どうしたの?」
あすさん「パソコン…? サーバの間違いだ……」
明海「これが?」
あすさん「なんでXeon…」
明海「じーおん?」
あすさん「サーバ用のCPUだぞ…」
明海「すごいの?」
あすさん「クライアント向きのものではない…」
明海「高いものなの?」
あすさん「何もかも高い。高いのだが、マビノギでは性能を生かすことができない…」
明海「もったいないのね…」
あすさん「だいたいわかったから、用が済んだら寝させてくれ…」
明海「はいは~い」

あすさんは目が半分寝たまま椅子に座り、起きているフリをして画面のほうを向いていた。

明海「………あれぇ…おかしいなぁ……」
あすさん「………どうした…」
明海「マビがない…」
あすさん「…………」
明海「ねーねー、あすさーん! どうすればいいの?」
あすさん「寝ればいいと思うよ…」
明海「ちょっと~! なんとかしてよ~」
あすさん「ダウンロードしてインストール…」
明海「よしよし、あすさん頼んだ!」
あすさん「マビノギ公式サイトにアクセスして…」
明海「公式サイトってどこだっけ?」
あすさん「……はあ……」

仕方なく明海と交替したあすさんは、マビノギのクライアントをダウンロードすることにした。

あすさん「……遅すぎる……」
明海「あら……混雑してるのかな……」
あすさん「推定残り時間が……朝までかかるぞ……」
明海「うっそ~~~~~~~?????」
あすさん「……ちょっと床で横になる……」
明海「わかった! じゃあ画面が進んだら教えるね!」
あすさん「……寝なくていいのか…明海は……」
明海「あたしも寝たいけどさぁ……マビもやらないと……」
あすさん「悪いことは言わない…。明日も学校なのだから…マビはあきらめて寝たほうがいい…」
明海「うーん……」
あすさん「私の言うことを聞いてくれるといいのだが……」
明海「あすさん………」
あすさん「明日やればいいじゃないか…」
明海「うん…そうする…。ごめんね、あすさん……こんな遅くまで……」
あすさん「そのパソコンは朝まで放置しておこう…。インストールは明日、明海が学校へ行っている間に私がやっておくよ…」
明海「わーい! ありがと~! あすさん!!」

パソコンを放置したままネットカフェを出る二人。

明海「あすさんがもうぐったりしてるから、あたしと同じ部屋で寝てもらってもいい?」
あすさん「どこででも……いいよ……」
明海「もう少しだからね」
あすさん「一晩ぐっすり眠ったら、明日はここまでひどくはならない……と思う……」
明海「ぐっすり眠ってね」


やっと明海の寝室へたどり着いた。
時刻は午前2時を回ったところである。


明海「あすさん、あたしの布団でおやすみなさい」
あすさん「明海は……」
明海「あたしはベッドで寝るから大丈夫!」
あすさん「そうか、おやすみ……」
明海「おやすみ~~」




こうしてあすさんの長い一日が終わった。

警戒心は緩んだものの、あすさんは大きな疲労感に見舞われてしまう。
まだ明海の母には警戒が必要であるし、今さらながら自宅に連絡を入れていないこともあるため、
家庭教師としてのあすさんの初仕事は非常にハードなものとなった。


明海「あすさーん! どう~? あたしの浴衣姿! 似合ってる~?」
あすさん「…………えーと?」
明海「まさか、あすさん……着方がわからないの?」
あすさん「慣れないので……」
明海「んも~…しょうがないんだから~」
あすさん「いやぁ…なんか、もう、ぐったりして……」
明海「はい! できたわよ。うーん…どうしよう? 食欲もないの?」
あすさん「簡単に食べられるものを頼もうかな…」
明海「わかった。じゃあ行こう~」


明海はあすさんの腕をつかんで引っ張っていく。
ますます積極性を増していく明海の行動に、あすさんは戸惑いの色を隠せない。


あすさん「やはり明海の体は左右対称だ…」
明海「まだ言ってる~」
あすさん「モデルとしてもやっていけそうだ」
明海「モデルか~! あすさんに言われると自信が沸いてくるなぁ」
あすさん「…でも、路線がそれると心配だ……」
明海「ああ、そっち系には行かないから大丈夫だよ~。あすさんだって嫌でしょ」
あすさん「うむ……」
明海「あすさんだってモデルになれるんじゃない~?」
あすさん「私には無理だよ……」
明海「そうかな~? 需要はあると思うけどね」
あすさん「……なんの需要……?」
明海「あすさんを見たい人もいるんじゃない?」
あすさん「……そういえば…ここへ来るときに……」
明海「え? スカウトでもされたの!?」
あすさん「…………タゲられた…………」
明海「タゲられた??誰に??」
あすさん「とにかく、いろんな人に……」
明海「ほらね! タゲられるということは、それだけあすさんが目立ってるって証拠でしょ~」
あすさん「そうか……でも、タゲが切れるまで必死に耐えて…疲れた……」
明海「あらあらあら……お疲れさま……」


足を引きずりながら歩くあすさんを引っ張っていた明海であるが、
そんなあすさんを察してからは、少し加減するようになった。


執事「明海お嬢さま、aspirinさま、お待ちしておりました。どうぞ、こちらへ」
明海「ねーねー、あすさんは疲れてるみたいだから、座敷がいいんだけど」
執事「それはそれは……車椅子をお持ちしましょうか…」
明海「あすさん、どうする~?」
あすさん「いやぁ…」
執事「担架のほうがよろしいでしょうか?」
あすさん「いやいやいやいや…そこまで重症ではない…。どうせ持ってくるまでに時間がかかるのだろう…」
明海「あたしが押していくからいいよね。さ、歩いて歩いて」
あすさん「さすが…。毎日こんなに歩いている明海は元気がいい……」
明海「あすさんも慣れちゃえば大丈夫だからね」
あすさん「ははは……なんか、もう、どっちが面倒を見てもらっているのやら……」
明海「あははははは」
執事「なんとも楽しそうな明海お嬢さま……感激です……」
明海「泣いてる…」
あすさん「こんなに元気な明海は珍しいのか…」
執事「はい…このようなお姿は…初めてで……」

感激のあまり号泣する執事であった。

あすさん「…こんなことを聞くのはなんだけど……」
明海「なになに?」
あすさん「ちょっと執事の雰囲気が違っていたね?」
明海「あぁ、執事っていっても何人かいるらしいよ?」
あすさん「なん…だと…」
明海「あたしにも見分けはつかないけどね~」
あすさん「みんな同じに見えるぞ……?」
明海「うん」
あすさん「エージェント……」
明海「エージェント?」
あすさん「スミスとかブラウンとかジョーンズとか……」
明海「執事に名前つけちゃった?」
あすさん「マトリックスの……」
明海「あれか…。あんなんじゃないと思うけどな~」
あすさん「人工的な……」
明海「うーん。まぁ、その話は食べながらにしようよ」
あすさん「そうしよう。……まだ歩くのか…」
明海「それとも走る?」
あすさん「いいえ、歩きます……」


ようやく食卓にたどり着いた二人。
テーブルの上には色とりどりの食器が並べられている。


あすさん「あぁ…この皿に料理が出てくるのか…?」
明海「はい、メニュー」
あすさん「トーストと……サラダと……ホットココアでいいか」
明海「それだけで大丈夫?」
あすさん「うむ……さっさと食べて眠りたい…」
明海「そっか~」
執事「ご注文はお決まりでございますか?」
あすさん「このトーストと、サラダと、ホットココア」
明海「じゃああたしも同じでいいや~」
執事「かしこまりました」
あすさん「あ! あと! 明海の幼少期の写真を」
明海「あ、あすさん……そんな言い方すると…ヤバく聞こえるっ……」

執事「明海お嬢さまの…写真…でございますか…?」
あすさん「なければいいけど…」
執事「それは…今は…お見せすることが…できません…」
明海「あたしも見たい!」
執事「お…お嬢さま………」
あすさん「見せられない何かがあるな……」
明海「……まさか……」
あすさん「ああ、けっこう。写真を持ってこなくてもいいよ」
明海「え? 見なくていいの?」
あすさん「どうせフォトショップで加工した写真を持ってくるだろう」
明海「そ、そうか……事実は見せられないのね……」
執事「……申し訳ございません……」

執事は足早に厨房へ向かい、料理を持ってきた。

執事「お待たせいたしました」
あすさん「ん。ずいぶん早かったようだ」
明海「いつもこのくらいの速さで行動してほしいね…」
あすさん「……それでも、トーストは冷めている……」
執事「申し訳ございません。焼き立てをご用意いたしましたが、こちらへお持ちするまでの間に冷めてしまいました…」
あすさん「おいおい……飲食店として致命的な欠陥じゃないのか???」
明海「あたしは猫舌だから気にしてなかったけど……致命的だね……」
執事「明海お嬢さま、aspirinさま、本当に申し訳ございません…」
あすさん「ま、いっか……。食べよう」
明海「いただきまーす」


トーストとサラダとココアという、まるで朝食のように軽い夕食を食べる二人。

眠りに誘われ動作の鈍くなったあすさんの姿を見ながら、明海は十分な満足感を得ていた。

温泉でのぼせるほど体を温め、2日分の汚れを洗い流したあすさんが次に向かうのは、
待ちに待った品揃えのいいレストランである。

だがその前に、明海の誕生の記録を知らずにはいられなかった。

そんなことよりも、風邪をひかないように体をよくふいてから着替えるのが最優先である。


あすさん「温泉なんて久しぶりだった~」
明海「これから毎日でも入れるよ!」
あすさん「次に入るときは熱中症に気をつけよう…」
明海「飲み物も持参していかなきゃね~」
あすさん「また塩水を飲まされたんじゃぁ……」
明海「ね~」

更衣室へ入る二人。
しかし、部屋が男女別に分けられていないのである。
もともと家族で利用するつもりだからなのか、単なる設計ミスなのかはわからない。

あすさん「温泉に入るとき、明海はどこで着替えていたのかね…」
明海「へへへ……あすさんが目を覚ます前に着替えておいたんだ~」
あすさん「そうか……午前中にプールの授業がある日は、海パンをはいて登校した記憶があるなぁ…」
明海「わ~! 今より小さいあすさんを想像しちゃった~」
あすさん「たしかに、当時の私は気の小さい男だった……」
明海「小さいって…そういう意味じゃないよ…可愛い子どものあすさんってこと~!」
あすさん「可愛いかどうかは……もはや知る人もいない……」
明海「あたしは興味あるけどな~あすさんの過去」
あすさん「実は…私も知りたいんだ…自分の過去を…」
明海「あ……何か重大な思い出が…?」


あすさんには0歳より前の記憶がなかった
その代わり、0歳以降の出来事はすべて記憶している。


あすさん「温泉から出るときの“よくい”を着てみたかったんだ」
明海「よくい…………あぁ、“ゆかた”ね」
あすさん「これこれ」
明海「あすさん、それはバスローブっていうの」
あすさん「……浴衣じゃない?」
明海「どう見ても和服ではないでしょ?」
あすさん「……じゃあ、本物の浴衣は……」
明海「浴衣はこれ」
あすさん「それだ」
明海「ああっ! ちゃんと体をふいてから、これに着替えるの」
あすさん「タオルはどこに?」
明海「バスローブがタオルみたいなものなの。これを羽織っている間にふき取られるでしょ」
あすさん「そうだったのか」
明海「あすさんは家でこういうの着ないの?」
あすさん「風呂から出たら、タオルで拭くだけ」
明海「そっか~。これで一つ勉強になったね!」


本能的に浴衣を“よくい”と読んでしまうあすさんには、温泉はなかなかレベルの高いお風呂である。


明海「あすさん、いつまであたしを見てるの?」
あすさん「そのあとどうなるのかと思って」
明海「もーーーーっ! 女の子の着替えなんて見るもんじゃありません!」
あすさん「じゃあ見ない」
明海「あすさんって……」
あすさん「なに?」
明海「今のあすさんって、なにあすさん……?」
あすさん「なにあすさん………」
明海「だって……ぜんぜん違うんだもん…。真面目でもないし、ふざけてるわけでもないし…」
あすさん「第三のあすさん……」
明海「なんか……目が輝いて……好奇心に満ちた顔をしているよ……」
あすさん「好奇心あすさん……」
明海「まぁ、それだけあたしに興味があるってことよね~」
あすさん「そのとおり」
明海「ちょ…っ! ……こういうときは否定しないんだ……」
あすさん「私はただ純粋に興味があって、知識を得ようとしているだけだよ」
明海「知識か……うん。そう言われると妙に納得してしまう。たとえ先生になっても、学ぶ気持ちは忘れないのね」
あすさん「今のところ理不尽なことはないと思うけど……」
明海「あすさんはそうかもね。でもあたしは……そんなあすさんの突拍子もない言動に振り回されてる」
あすさん「申し訳ない……」
明海「んも~……なんで否定しないかなぁ~……」
あすさん「…………」
明海「ああっ! そんな……別に怒ってるわけじゃないよ???」
あすさん「ふむ…」
明海「あー。これって……んー……もしかして……?」
あすさん「なんだろう?」
明海「あたしが流れを完全に支配しちゃった~~~みたいな状況……?」
あすさん「そう思うかね?」
明海「そ…そう…うん…そう思う……」

あすさんは少し考えた。

あすさん「明海、それでいいんだ。それでいい」
明海「えー? なになになになに?」
あすさん「その調子だ。その調子でいけば役者になれるぞ」
明海「へ??こんな調子でいいの??」
あすさん「私が明海のペースに見事に乗った」
明海「ほほう……」
あすさん「この感覚が重要なのだろう」
明海「う? うーん……今回はあすさんの言っていることがわからない……」
あすさん「にやにや」
明海「にやにやって??」
あすさん「わからないだろう?」
明海「え? もしかして笑うところだった?」
あすさん「明海も私と同じで、自分の才能に気づいてないってことだよ」
明海「えーーーーーーーーー???????どういう意味~~~~~~~~~?????」
あすさん「明海には私の才能が見えるし、私には明海の才能が見える」
明海「ふむふむ……」
あすさん「でも本人には、その才能がまったくわからないということだ」
明海「あー…………そういうことか……。そういうことか……?」
あすさん「ね? どういうことかサッパリわからないでしょう?」
明海「ん~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~…」
あすさん「あまり考え込むと、見えるよ?」
明海「見える? …ちょっとっととととーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」



どうやら明海に対する疑いは杞憂だったようである。

今までの明海の言動は演技などではなく、本心であり、悪意は感じられなかった。

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